ノスタルじじいと自分探し,または中大事件について

かなり久々ですが、ダラリくんと連携します。
http://ameblo.jp/dararhythm/entry-10271802616.html

経過中(継続保持中)の過去にアクセスするか、完結上の過去(既に終わったもの)にアクセスするか。

同窓会もそうですけど、SNSなんかを経験している人の話なんかを聞くと、やっぱり「完結した過去へのアクセス」として使用するという使い方が多いし、「それの為だけに便利よSNSは」といった言い方をされる人もいました。

そのメンタリティがよく分からないとダラリさんはおっしゃっているのですけど、わたしも正直言うとよく分かりません。

わたし、「過去」へのアクセスの仕方がどうあるべきか、ということを書いている記事がだいぶ過去にあります。それは橋本治さんがおっしゃっているんですけど、「橋本治は何がしたいのか」ということの自問自答をしていて、答えは「こんな過去の振り返り方があったのか!ということをしたい」ということだったんですが、うむむ、ナイス表現、と思った記憶があります。

先日話題に出した大瀧詠一さんには「分母分子論」という概念があって、これも「こんな過去の振り返り方ってあったのか」をするための同類の概念です。

過去へのアクセスの仕方、というより「過去」をどのような状態にしておくか、ということには、意識と訓練と努力が必要かと思います。

「過去の振り返り方」のユニークさを考えてみる、というのは、だから先週のわたしの七面倒な文章群も一緒ですけども。(全然ユニークにはなっていないですけど、訓練中ですのでご容赦ください。(笑))おそらく「そんな過去の振り返り方」のパターンに比例して、だから現状と未来についてたくさんの経路が出来る。

経路、というか可能性は多いほうが、いいですものね。

そうやって「新しい過去の振り返り方」を探すことによって、過去を再活性し続けていくことが「経過上の過去」という言葉になるんでしょうけどもね。

その文脈でいくと
「あ、その節はどうも」といって、「いや、あなたのおかげでわたしは今こうなんだということがこないだよくやく分かりまして、どうしてもその節の御礼がしたくて」と言われて、「いやいや、わたしそういうつもりで、あの時こうしたわけではないですから」「いや、でもとても感謝しているんですよ」「そうですか。それはわざわざありがとうございます。ところで今はどうされているんですか」「いや、それか云々でして。。」「あ、そうなんですか。実はわたしも云々でして。」「ああ、それならば今後こういうことは考えられますか・・・」といった具合に、話は先に進んでいく。

わたしは実際に最近1件、これがあったんです。

ここでは、つまり、過去にある事象があって、当事者が後からその過去を引っ張りだしてきて改めて向き合ってみると、新たなことが発見されて、その関係者を探して御礼をすることで(再活性化)して、現在を動かす(未来につなげる)という流れになっていますよね。

曲解される「自分探し」と原理が一緒ですが、過去にアクセスしてみればそこにはきっと何かがある、という期待だけで過去にアクセスすると、きっと何もないんですね。だから「過去は完結している」というよりも「過去を完結させちゃっている、自分で」ということをわたしは思います。

自分探しも、行った先(転職先、旅行先、変身後)に「わたしが出会うべき」何かがあるはずだ、という文脈で捉えるうちは、きっと何も見つからない。

過去も「アクセスすれば何かあるかもしれない」ということでは、きっと何もないんでしょう。それこそ「ノスタルじじい」(これって誰の造語ですか?川勝さん?)の世界で終わってしまうんでしょうか。

当然、上記の「その節はどうも」は、「御礼が言いたくて」じゃなくて「恨みを晴らしたくて」ということだってあり得るわけです。それは最近話題の中大の事件なんかもそうですけども。

結局何かをする、ということは「御礼」にせよ「恨み」にせよ、どうしようもない、とわたしは思います。だから「何もしない」という選択だってあり得るんですけど、わたしはそれでも生きてる以上は何かしていたいと思うんです。ああいう伝えられ方だけしちゃうと、大学の先生、明日は我が身って、余計教育から腰が引けますよね。それを社会と世代の問題なんかに、ワンパターンに矮小化しちゃっていいんでしょうか。

死んだ先生も可哀想だし、殺した元学生は許されるべきものではないけど、先生は先生として教え子に「過去へのアクセスの仕方」を教えるべきではなかったのかなと。教えるというか、そういう「原理的なこと」について一緒に考えるとかいうことを通して築かれる「師弟関係」みたいなものって、今の大学(というか高校から小学校まで)のシステムでは難しいのかなって。

そこから、考えちゃいますけどね。
わたし自身は、いい先生にめぐりあったことって、1度(1年)しかないんですけどね。(笑)後は顔も名前も忘れちゃうぐらいですね。皆さんどうなんでしょうね。

わたしが今持っている師弟の関係性(わたしはもっぱら弟ですけど(笑))は、そんな上滑りのものではないんです。
そういう関係性を現状築かせていただけたのに、過去の「先生の不在が・・・」とか(笑)、また過去を参照しに行って過去が再活性化して、また発見や出会いがあるはずなんですけど、キリがないので(笑)、今日はこの辺で。