ユースカルチャー三角州

盛り場の流行歌から、次を「カラオケ文化」にするか「盛り場話」にするか迷って、後者にします。

先日ニュースで「住みたい街ランキング」というのを目にしたのですが、東京武蔵野の「吉祥寺」が4年連続一位だとか書いてありましたね。

わたし持論なんですけど、東京には「若者文化三角州」というのがあるんですよ。新宿と吉祥寺を結ぶ中央線のライン、吉祥寺と渋谷を結ぶ京王井の頭線のライン、渋谷と新宿を結ぶ山の手線のライン、この三角形って作ると面白いんです。

新宿が若者文化を引っ張った60年代、新宿を追われた若者は、一部西へと移動したのです。それは福生や立川といった米軍基地方面、それと吉祥寺。70年代は、そういう場所で細々と若者文化が根付いたんですね。

それを時を同じくして、70年代は原宿、渋谷という方面にも若者が流れた。渋谷は資本がそれを巻き込んで80年代を作っていくんですね。

一旦渋谷に覇権が移って、80年代も半ばになると、新宿と吉祥寺ラインの中間点の中野高円寺、渋谷と吉祥寺ラインの中間点の下北沢、新宿と渋谷ラインの中間点の原宿(ホコ天とウラ原)って感じに文化が醸成されていくんですね。

90年代は、それらが各々カオス的に独自のものを拡散するようになっていく。
住みたい街ランキングってのは、きっとその三角州で一番影響力の高いところの「付近」が一番になっているはずです。私らの頃は、まだ渋谷でしたから、中目黒とか三軒茶屋とか自由が丘とか代官山とかっていう具合ですね。

今何故に吉祥寺なのか。しかもなぜ「付近」ではなくて、吉祥寺そのものなんでしょうね。

そこでひとつ思い出したことがあるんですけど、昔「チーマー」という人種がいましたよね。(笑うなネーミング)最初は渋谷でしたが、それこそ昨日の話じゃないですけど、大人の排除されて、西に向かったという話は有名ですよね。

渋谷から、京王井の頭線で吉祥寺へ、吉祥寺から中央線に乗り換えて、最終的には八王子まで移動した、という都市伝説のような話です。

太陽は東から西に向かいますが、人間も東から西に向かうんでしょうかね。(笑)渋谷から、なんで半蔵門線錦糸町とかにいかないんでしょう。(笑)

与太話が続きますが、企業社会でも「千葉支社」というのは作るのが難しいんです。普通支社は県庁所在地に作りますから、千葉市に作るのがセオリーですけど、千葉市に作ってもあまりメリットがないので、千葉市じゃなくて幕張に作るんですね。

でも幕張だったら東京みたいなもんだから、リストラで最初に統廃合されたりするのは「千葉支社」なんですよね。

話に止め処がなくなってきました。。

若者文化は、100年かけて、東から西へと移動してきました。何故か西に。吉祥寺より西には、国分寺とか立川があります。(わたしその国分寺と立川の間の「国立(くにたち)」が好きなんですけども。あ、名前はほんとにそのままですよ。両方から一文字ずつもらってます)

立川に首都機能を移転、というのも現実的になれば、若者文化の覇権も、あと100年ぐらいかけて、ゆっくり以西に向かうんでしょうね。

チーマーの先見性。