ディスコミキサー

ダラリさんうまいこといいます。「感情イコライザー」→http://ameblo.jp/dararhythm/entry-10214672649.html

わたし「感情スイッチ」という言葉が主題として浮かんだ時の原イメージって、教育テレビの「ピラゴラスイッチ」の1コーナーの「お父さんスイッチ」だったんですけどね。(この番組おもろいですよ。)

お父さんスイッチって、鉄人28号みたいなコントローラーを子供が手作りして、各ボタンに「あかさたな」ってつけといて、「あ」→「歩く」みたいな連想を子供がして、そのボタン押しながら子供がつぶやくと、お父さんがそのとおりに動くっていう、ただそれだけのことなんですけど、確かボタンが4つだったような気がします。
それのイメージだったんですけど、ダラリさんの慧眼の文章を読んでて、あ、単に子供が作りやすいからスイッチにしてるんだけど、本来は「ディスコミキサー」であるべきだと。(笑)子供にディスコミキサーは手作りできないから、スイッチなんだと、そういう風に考えました。

つまり、感情は「スイッチ」じゃなくて「チャンネル」である、とするとしっくりくるのかな、と。
前にマインドはアナログである、と書きましたけど、ボタンじゃなくてツマミだろ、と。

うちにはディスコミキサーがあります。もう15年ぐらい使ってますけど、壊れませんねえ。いまだに。レコードのターンテーブルも壊れません。一番最後に買ったCDのターンテーブルが最初に動かなくなりましたね。

つまり、これは何かの比喩だと思ってですね。ここで散々書いてきた社会の、個人の、目を覆いたくなるナイーヴさとCDターンテーブルがダブるというか。(笑)

話が反れました。ダラリさんのイコライザーの話です。

わたし昔からディスコミキサーとターンテーブルで遊んでいて、イコライジングって苦手でした。人からお金取って遊ぶ時なんか余計に、イコライザーなんかあまり動かしませんでしたね。低音の輪郭がはっきりするイコライジングをしたら、ブレイクの時以外は、ほとんどいじらないという感じでした。若人のライブPAとか仕切る時も、ミキサーのイコライザーは一回位置を決めたら、あまり動かさなかったですね。その代わりエフェクトは、面白いので多様しましたけども。

うちのディスコミキサーは、ミックスダウン後のアウトプットの音に対してだけイコライジングできるものなんですけど、もっと職人的なものになると、各チャンネル毎にイコライジングできるものとかあって、あれを扱い切れる人を当時から尊敬してました。

右と左のチャンネルのリズムやハーモニーを合わせるだけではなくて、音の粒(音質)まで揃えて、完璧に融合した空間を作り出すという。その気づくか気づかないかの細部へのこだわり、わたしには出来ないセンスだと思ってました。

だから感情スイッチ、じゃなくて、感情チャンネルだ、と訂正した上で、人間を喜怒哀楽の4チャンネルを操るディスコミキサーみたいなもんだとすると、わたしは外に出てる音にしかイコライザーをかけないし、一回イコライザーの位置を決めたらあんまり動かさないという大まかさなんですけど、ダラリさんみたいな人は各感情チャンネル毎にイコライザーがついていて、常に微調整している。

まさに「職人」。わたし職人は、自分には出来ないものとして羨望の存在ですね。そう思えば仕事でもプライベートでも、お仲間は、みなさん職人的な人が多いですね。こう暗黙知で役割がパッと決まって、30分説明しないといけないことが1分で済む、みたいな関係性で、何でもするのが、好きです。

例えばレコーディングでも、作品を作る人がいて、プレイヤーがいて、エンジニアがいて、プロデューサーがいる。

ひとりで全てを行える、例えば細野さんのような人がいて、わたしはその迸るような能力を尊敬しますけど、細野さんも、でもとっちかというと「職人」なのではないかと個人的には思うし、その職人さに惹かれているような気がしますね。だから同じ細野さんの中でも「ベース職人時の細野さん」「誰も気づかないような作中のギミックをいたずらっ子のように語る細野さん」が、特に好きですしね。

自分が職人ではなくて、もっと別の役割なんだな、と思ったのは、やっぱりイコライザー動かさないあたりから、無意識に気づいていたんでしょう。自分がどういう役割を負うべきか、またはどう振舞えば場のパフォーマンスが上がるのか、ということに、その頃からあまり惑いは無いのかもしれませんね。

で、週末は「お父さんミキサー」作りをすることにします。(笑)