「橋本治と内田樹」について リターンズ

今つかの間の一人暮らし中で、夜時間があったので、ちょこちょこブログの設定をいじってみました。いじってると、なんだか検索サイトでどういうワードで入ってきたか、みたいなのが分かるんですね。今ごろ気づきました。(笑 アホです。というか書き留めておくことにしか興味がないんですね。すいません)

それをボーっと見ていると、その中でも「橋本治内田樹」というワードが最近は目立ちます。同名の本が、おそらく今月発売されるから、ですね。

お恥ずかしいことに「橋本治内田樹」とググると、ここ2番目に出てくるんですよね。(笑)しかもリンク先は3年前の「橋本治のゲイ達者ぶり(http://d.hatena.ne.jp/fraflo/20050706)」という記事で・・お恥ずかしい限りですけど、たしかに文中に「橋本治内田樹」と3年前に書いていて、お二人を乱暴にまとめています。ま、それは関係なく、3年後にこの本が今発売されるのは、わたしとしては感無量で、どんなことをおっしゃっているのか、はやく読みたいですね。

3年前の記事そのままじゃ恥ずかしいということもあるので(笑)、ここに改めてモノローグです。

橋本治内田樹」というキーワードで書けることはわんさかあって困るんですけど、橋本治さんは高校生の時から読んでいて、内田樹さんは2000年ぐらいだったか、ネットでたまたまブログを見つけて、わたしが言うとおこがましいですけど、強いシンクロニシティを感じて、それから著作がバンバン出始めたので、継続して読んでました。

わたしは、20代の大半は「細野晴臣内田樹」を2大師として生きていた、といってもいいかもしれません。(笑)その時は、別々の入り口で吸収していたものが融合する不思議に多々出会ったんですね。今回の「橋本治内田樹」という本の発売も、私にとってはその不思議な(そして必然の)融合のひとつです。(なんか2000年代前半って、同じような体験をたくさんしたように思います)

それで、今改めて私がなんでそういう人たちにシンクロして惹かれて、それが目の前で融合しだして、または今、多くの人の需要を受けて、お二人のような知性が注目されるのだろうと考えてみると、そこに「嫉妬」というキーワードがポンと出てきました。ここからはお恥ずかしい話ですけど、少々お付き合いを。

わたし20歳の時に、付き合っていた(というかお世話してくれていた)彼女と別れました。原因は全部わたしにあるんですけど、その彼女が、その後わたしの友人と付き合うことになるんですけど、その二人がデートしている時にバッタリわたしが遭遇する、ということがあったんです。

しかも、場所は新宿(笑)。今考えてあり得ない体験でした。何かの導きですね。(笑)

嫉妬に狂ってめちゃくちゃにすりゃ素直なものを(笑)押し殺してかっこいいこと言って、裏でおそらくこれ以上ない嫉妬に苦しみました。ひと目も憚らず泣き、メシも食わずに引きこもり。その時の感覚は忘れませんね。その2人は3年後に別れてしまいましたが、その友人とは今でも付き合うし、もう笑い話ですけどね。

その後、その「嫉妬」を克服した(というか麻痺した(笑))時から、わたしのまわりに集まってくる人や情報が、同じように「嫉妬」の感情が麻痺しているもの、であふれるようになったんですよ。(笑)これはほんとです。「来るもの拒まず、去る者追わず」のモノがたくさん集まってきました。元々そういう種類の人間だった親とも関係が良好になってきたり、今思えば不思議な状況でした。

細野さんにしても、内田さんにしても、橋本さんにしても、彼らの表現が他と違って稀有なのだとすれば、過度に「嫉妬」の感情に振り回されていない、ということだと思います。その節度が当時のわたしに心地よくシンクロしてきたんですけど、きっとこの人たちも、過去にこの上ない嫉妬に苛まれ、それを克服してきているんじゃないでしょうか。

人間は「嫉妬」の生き物である、という言葉もありますけど、「嫉妬」を動機に表現されるもの、活動するもので確かに世の中はあふれていますし、生活していても、そういう場面のほうが多いわけですね。何とか競争とか何とか合戦とか、見栄と虚飾に溢れた、無理のある類のものですね。

そう言うわたしは「嫉妬」の感情が無くなった、わけではないですよ。嫉妬心は沸き起こるけど、それは小さく、すぐに消える、つまりそれが前面に出てこないように迅速に対処することができる、ってだけのことですね。

それを「嫉妬とうまく付き合える」と表現すれば、嫉妬とうまく付き合っている人や表現は「スポンジとダイヤモンド」でも言ったように、過剰に親和されるか無視されるか、です。橋本治さんも内田さんも同業からは無視されてますし(笑 失礼)細野さんはある意味過剰に親和されているように思います。つまり、いずれにせよ「突き抜けている」ですね。その突き抜け方を見て、こういう大人になりたい(枯れたい)、と思って、20代は、そういう人たちから何でも学ぼうとしていたと思います。音楽にしても他文化領域でも、ある意味突き抜けたもの、だけに吸い寄せられるように囲まれ、自分の足場もそういう方向で固めてきたかもしれません。

冒頭に書いた「不思議な融合」というのは、時代背景もあって、突き抜けたもの同士の必然の連携が起こり始めた、ということではなかったでしょうかね。

今の世界は、乱暴に括ってしまうと「嫉妬とうまく付き合う方法」がきっと求められていて、逆に言えば20世紀は「限界嫉妬の時代」で、既に余計な嫉妬から解放されて無理なく嫉妬と付き合っている知性、それは作家でも思想家でもクリエイターでも経営者でも、そういう人や情報が、今無意識に一部の人々から求められ始めているんじゃないかな、とそんな風に思いますけど、いかがでしょうか。

だから、そういうモノや人との出会いを用意してくれた、その20歳の体験に、わたしは改めて感謝するんですけどね。元々用意されていた通過儀礼だったかもしれませんね。(って思わないと、新宿で偶然に遭遇する、は出来すぎの現象ですし)

※20歳のときの話は、当事者がもしここを読んでいるとすれば、触れたくない過去でもあったと思いますが、どうぞご容赦くださいね。