カチとキチ

年末年始はがっつりとお休みさせていただきましたが、リアルでも厨房に入りっぱなしで、キッチンドランカーをしておりました。喪中なのでおせち料理は作りませんでしたけど。

厨房に入りながら、時には音楽を、時にはラジオを、時にはテレビを、と見聞しておりましたけれども、総じて話題になっていたものの本質をひとつ突くとすれば、それは「価値の問題」ではないかなと思いました。

昨日教育テレビで夜半にやっていた吉本隆明さんの特番の内容を聴いていて(観てはいません)あ、やっぱり、と思いました。

常に話題は「価値」の問題でした。声を聴いていると、戦後思想の巨人はだいぶ御年を召されたような感じですね。

例えば「婚活」の問題とか「労働」の問題とか「生活」の問題とか、人々の生活に直結するテーマを多くのメディアは取り上げていましたけど、休みの最後に結局吉本さんにまとめてもらった感じがしました。

わたしらは流動性のとても高い社会に生きてきちゃいました。昨日価値のあったものが、今日価値がない。昨日人が喜んでくれたことは、今日は迷惑がられる。とか。

そういう時代に生きてくると、なかなか変わりようのないもの、を探すか、流動性を楽しむか、といったような「処世術」が出てきて、わたしなんかはもう、良くも悪くも、どっぷりそれ楽しんでる部類でしょうか。

メディアにじっくり触れてみると、今人々は「比較的普遍性の高い価値」を持っているものに再帰してるんだろうなと思います。再帰したいんだけど、昨年末に書いたように、だいぶショートカットして、だいぶ後ろを振り返らずに目の前にぶら下がったニンジンを追いかけてきちゃったので、困ったことになっている、という感じでしょうかね。

さてさて、2009年も「比較的普遍性の高い価値」を探して、ラボするんだと思います。普遍性の高いものを探すために、益々自我を流動的に、オミズにしていく必要が出てきます。オミズで漂っていると、たまに不安に苛まれますから、「基地」が必要です。

この「基地」っていう考え方が、上述の「普遍性の高い価値」と同義なのかもしれませんが、わたしは好きですね。基地。

世の中にはパラドキシカルな言説というのがあります。「変わらないために変わり続ける」とか「守るために攻める」とか。その類の言葉というのが複雑で、わたしは惹かれます。

「基地」っていうのは、わたしにとっては上述の言葉を実行するための活動拠点です。複雑さを受容する要塞、っていうイメージです。

いまは「企業」や「地域」や「家庭」といった基地的なものが、流動性を高めたためにどんどん機能が弱ったり数が減ってきて、最近は「基地なき戦い」をずっとやっていたけど、割と結構勝つんで、ま、基地いらねっていうことでも、良かった。

それがだいぶ劣勢になってきて、いまは基地が渇望される。それが「正社員」の問題とか「婚活」の問題とかに繋がっていく。

でもね、と思うんです。

「基地」の意味が、メディアから聞く感じだと「活動拠点」ではなくて「防空壕」というか、シェルターの意味あいがなんか強いかな、というのがメディアに触れたもうひとつ感想でもありました。

それで、話は「価値」に戻ります。

前に、大島新さんのシアトリカルについて書いたときに、大島新さんのトークライブについて書き損ねたのですが、そのトークライブで、息子さん(大島新さん)がお父さん(大島渚さん)を評する場面があったんですよね。
そこで息子さんは、「大島渚というヒトは、時代の空気を切り取ることに長けた芸術家であって、普遍性のある作品は少ない」ということを(勿論良い意味で)おっしゃっていて、なるほどなあと思ったのでした。

確かに、同時代性をもたずに大島渚さんに触れても、作品の熱を全て受容することは出来ないかもしれませんね。

普遍性を捉える表現も、流動的な社会の一部をバッサリと見事に切り取る表現も、過去にはあるわけですけども、大島渚さんの時代は「流動性が激流になりつつある時代」の特殊な時期で、基地なんかいらねえから、どんどん流れていけ、というようなことで時代を切り取っていったと思うし、その意味で稀有な存在であったと思うんですよね。最近再評価熱が高いですけどね。

息子さんが評したのは、でもいまは流動性は普通になってしまって、それを表現のテーマとして持ってこれない。

昨日の吉本さんの語りの最後にあるように、いまは流動性が普通になって、ごちゃごちゃし過ぎて、パワーが分散して、グッと時代を捉えて変えていく力になるものが生まれにくい時代になっている。つまり基地がないので、力を下支えするものがないわけなんですよね。

だから、2009年あたりは「激変」とかメディアでは言ってますけど、変わるのはもう少し先で、今年は「整理」がメインの年ではないんですかね。いままで別のカテゴリーにあって微細に区分けされていた知性や表現が融合されて、基地がポツポツと再構築される時期。

その後何がどう変わっていくのか(または変わっていかないのか)の方向性をつけるための「整理」の時間ですね。

なんとなく、おぼろげにそんな感じを持ってます。
以上、リハビリを兼ね、年始のご挨拶まで。