「日経新聞」という呪縛

最近「オミズ」の話と「音楽」の話しかしてないですね。

例え話とか比喩が好きって、先日ダラリさんが書いてました。私も好きですけど、この比喩すばらしいっていうのに出会いました。

比喩の対象は「株価」なんですけど、株の売買って「誰が美人コンテストで一位になるかを投票する」のと同じだっていう例えがあってですね。(リナックスカフェっていう会社の代表の平川克美という人が言ってるんですけど)

腑に落ちる比喩だなと感動しました。

誰が一位になるかを投票するので、そこには自分の価値(この人美人だな)はひとつも入っていない。なるほど、ですね。

企業にはそれぞれ「価値」があって「文化」があるわけですけど、株主にも本来はその意識があるべきですね。わたしの家でも夫婦の若気の至りで、金融商品少し持ってますけど、最初株を買ったとき、利ざや稼ぎ、とかちょっと色気だしたら、大変でしたね。仕事してたらディーラーからバンバン電話かかってきて、「今ウリです」とかって。(笑)仕事になりゃしません。

ですので、投資信託とか、自分が「価値」だと思って活動を応援したい企業の株を長期で持って、ささやかな株主優待を受けつつ、みたいなスタイルに、最後は落ち着いて、そこで「あーなるほどな」と株主の本来の意味に気づいたのでした。

マネーゲームの人は、買ったとき高くて、それから下がってしまって売るに売れないから持ってて、なんだよしっかりしろよ、みたいな。(笑)そんな悪意の株主のために企業活動なんか、したくないかなと思うんですけど、あまり賛同を得られそうにないですね。これは。

企業は誰のためのものか、みたいな議論が過去あったわけですけど、上場企業クラスは「株主」でいいと思うし、中小零細企業は「従業員」でいいと思いますよ。「社長」っていう選択肢があったけど、「社長」のための会社は、わたし的にはナシ、です。

「社長」っていうのは、従業員に食わせてもらっている、というのが私の周りの社長さん達の共通認識です。そのぐらいの謙虚さでちょうどよい。権力を持つには、そういう知性が必要ですね。

「経営」は「存続」であって、「存続」は「存在価値の継続」ですけど、なんだか最近の日経平均が上がったとか下がったとか、買いだ売りだって、まだ懲りないのかねえ、って新聞の経済面も読む気になりませんね。散々振り回されて、足元を見失って自滅した人もたくさん見てますしね。

企業の本当の価値、個人の本当の価値、なんかを考えたり見出したりしなくなるのは、「見えにくい世の中」では別に仕方ないですけどね。だから考えたいし、見出したい、ってことですけど。

そんな中、最近電車で日経新聞を読んでいる若いやつを信用しない、というのが私の周辺で定説となりつつあります。(笑)偏見はいけなせんけど、「日経ぐらい読まなきゃビジネスマンとしては失格だよ」な世の中は、エンドロール中では。。。これから、の若い人ぐらいは、規制概念に囚われないで欲しいですよね。