「このヒトなら」能力

わたしのまわりには、敬愛するオミズメンターが男女問わずたくさんおりますが、年末年始は、何かに託けてそういう方々とお会いできるいい機会です。

それで様々な場所で様々なお話を積み上げていく中で、「騙す」というオミズアイテムについて、なかなか味わい深い話が沸いてきました。

世の中には「騙すより騙される人間のほうがよい」という言葉があるのですが、これはどういう本質が隠されているか、というお話です。

オミズマインドとしては「騙される」ことは厭わないわけです。よく女の人が「あの人だったら騙されてもいいわ」という、あのメンタリティ、です。

騙されるにも、騙しの質があるわけですが、質の問題は、単純に「この人だったら」が条件です。つまり騙される前提は、「この人」を見抜く力が必要だということになります。

騙されることを許容できる人は、なぜ騙されることを許容できるのか。それは、その人に「まあ、こいつだったら騙されてやるか」という風に付き合ってくれる人々が後ろにいるから、という話になりました。

つまり、「騙される人であれ」というのは、「愛される人であれ」ということなんですね。騙されてあげる人には、後ろに多くの「騙されてくれる人」がいる。騙しの連携、です。

昨今の「婚活」とか、つまり結婚したいからいい人を見つけよう、という流れがあって、この間の週末ご飯作りながらテレビから聞こえ漏れてきた情報では、最近は親同士がまずお見合いをするとか、よく分からないことになってます。

結婚は、「わたしに騙されてください」「はい、騙されます」と言ってもいいのかもしれませんが、親に選定を委任するということは、「この人なら騙されてもいいわ」というのの「この人なら」を自分で感じる能力が著しく低下している、ということもあるかもしれません。

低下している、というか、そういう「この人なら」能力が万人に必要になったのは、戦後自由恋愛が活発になった、たかだか40年ぐらいの話なので、「元々全員には備わっていない」ということかも、しれません。

「この人なら」能力を上げるには、とにかくたくさんの人と、時に騙され、時に騙し、通低する礼儀、配慮、愛情を忘れない、ということで、生きていくしかないんでしょうかね。

「この人なら」で失敗して、もう「わたしは絶対何にも騙されないわ!」と身を硬くしていて、いつも「この人わたしを騙しているかもしれない」と思いながら生活していたら、何が起こるかというと、「この人なら騙されてもいいわ」という人を見つけられない前に、自分が「この人」にはなれず、まわりに人が集まってこない、という。

世の中ってバランスで、騙すには騙されなきゃいけないし、ニコニコ騙される人は、まわりに多くの「騙されてくれる人」に囲まれているから、ニコニコしている、という、世の理の世界が、とくに「オミズ界隈」には多くあるのでしょうかね。

オミズマインドについては、これ以上書くことないかもしれません。

ということで、今週もお疲れ様でございました。