ふうらりふらふら風来坊

最近ほとんど「家」にいる記憶がないんです。平日は全くまっすぐ家に帰らないし、週末は必ずどこかに泊まっていて、そのまま家族の待つ奥方の実家へ、の繰り返し。こういう風来坊的な生活って、別に嫌いではないのだけど、30も超えて全然「ルーチン」生活を行えないのって病気かしら?と思います。

家が好きか嫌いか、という話は面白くて、これは一人遊びが出来るか出来ないかということと同義なんだけれども、特に女の人ってのはまっぷたつに分かれるね。あーっと昔思ったのは、地方出身者の在京単身女性ってのは家にほとんどいないね。(笑)期間限定の思想っていうか焦りもあるんだろうけど、休みは外で遊ばにゃそんそん、という感じがもの凄くあるよね。

1970年ぐらいまでの東京は、「山の手エスカレーター私立高大生」ってのが先端若者文化を牽引したって話はしたけど(たぶん)、メディアが発達して、単身おしゃれワンルーム生活ってのが経済成長達成のひとつのシンボルとして出てくると、東京ってのは地方出身者のためのもの、になったでしょ。まあ60年代に団塊世代がこぞって東京に来てはいたけど、かなり超えられない文化の壁が、あったんだよね。

だから、うちなんかは僕が地方で奥さんはネイティブ東京だけど、街の情報については僕のほうが詳しい。初めてデートして渋谷のクラブに夜中遊びに行ったら、渋谷来たの2回目、とかいって怖いから震えたりしてた。(笑)それは結局渋谷まで行く必要がないから行かなかっただけなんだけれども、そういうメディアにだけ流されない節度ってのは、やっぱり差がありますよね。

そんな東京も、益々風通しだけよくなりすぎてつまらない、という話は何度もしたけれど、
逆に「隠れ家風」「個室」ってなダイニングバーとか居酒屋ってのが多いでしょう。あれってうちら世代以下をちゃんとマーケティングして作られたひとつの「流れ」の中にあるもので必然のヒットなんだけど、街が提供できない「暗部」を店の中で提供しているという感じするよね。

住む場所を選ぶときに、敢えて家賃の高い場所、敢えて危険の多い場所、敢えて刺激の多いところってのを選んで住んできたつもりで、その選択はたぶん間違ってなかったと思うんです。若かったし。安定よりも刺激を求めた。家賃で苦しみながらモチベーションを上げて収入増やした。これは男しか出来ないかもしれないですけどね。今って強姦とか強盗とかリアルな恐怖だしね。家にいれないよね。そういう所って。本当に住みづらいんだもん。

「書を捨て街へ出よう」といったのは寺山修司で、それはとても大切なことなんだけどね。
今は街といっても独自の情報が手に入らない場所だったり、メディアや人が作る流れに乗っかっていくだけの「外出」では時間の浪費感があって、気づいたときにはもう遅いってな人もいっぱい見てきたし、街へ出るにも、意識して出なきゃ、目的持って出なきゃって5年ぐらい前に言ってましたけど、今後東京はどこへ向かうのだろう?ってな具合の暗澹とした未来予測なんですね。僕としては。
寺山が言ったのは60年代〜70年代の、まあ混沌とした街に出れば「何かがある」時代だったけれどね。今はなあ。まあまだ少し、希望もあるけれど。

世界的にこれだけ「歓楽街」がバラバラに個性を持って存在している都市ってのは珍しくて、それは戦後の「闇市」っていう自然発生的な集合を元に街が出来上がっていったからなんだけど、でもこれからどこも同じような風景になっていっちゃうって危険はある。街ってのは変わっていくのでそれは仕方のないことかもしれないけどね。「超東京」ってやつだね。まあ本来「都市と農村」っていう意味での「都市」ってのは20世紀で役目を終えてるんだけどね。

今まで4年以上同じ場所で暮らしたことのない身なのだけど(転勤族ってやつ)、ひところにどっかと腰を落ち着けておけない「拡散」人生は、たぶん一生続くのではないだろうか。
ごめんね。子供。次はどこへ行くのでしょうかね。自分でも分かりませんけど。もう「場所」ってのはあまり関係がない時代になりますしね。

最後はひとり、場所が関係なくなる時代とはそこが強調される、そういうことです。