ミッドナイトウォーキングライフ

最近は歳のせいもありまして、朝まで遊ぶ、という回数は減ってきています。あと牛肉があまり食べられなくなり、鶏肉が好きになったりとか。(笑)30代中盤の肉体の変化を楽しんでおります。

わたし散歩好きですけど、特に夜の散歩が好きですね。ブログ名も「walking life」ですし。

最近都内の歓楽街を歩いていると、その「呼び込み」の数の多さに驚きます。ボーイもお店の女の子も外に出て、かといって過度に強引な客引きはしない。(世代的なもんですかね)いろんな意味で今の世相だなと思います。都内で一口に歓楽街といってもいろんな歓楽街があって世界でも珍しい都市でしょうけど、だからほんと、身を隠すにはいい場所ですよね。東京は。(笑)

歓楽街を抜けて、オフィス街や住宅街に入っても、世相は感じます。オフィスや都心のマンションは電気はついてないところが多いし、止まっている車は軽自動車が増えたり(笑)、都内の夜中散歩って実働15年以上たってますけど、15年前とは「微差」がたくさんある。微差もたくさん集まると大差になりますね。

ここの記事に書いたことがあるか記憶にないですけど、例えば渋谷の駅前、にスポットを当てて10年単位に写真を見比べると、50年と60年では全く違うし、60年と70年でもまったく違う。70年と80年でも全く違う。80年と90年では、建物は同じような感じになってるけど、歩いている人の感じが全く違う。90年と00年では大して変わってない、というような状態だと思っていてですね。「状況の見えにくさ」とも繋がる話ですけれども。

劇的に違う、ということは90年以降は無くなってきて、それは街の造りだけではなくて、ファッションも髪型もたいして変わっていない。変わったとすれば、携帯電話を持っているとかウォークマンIpodになったとか、そんなもんですかね。

それはまあ全体的には「停滞」っていうことになるんでしょうけど、停滞する社会を、どう暮らしていくか、は宮台真司の「終わりなき日常を生きろ」みたいな世界ですかね。(宮台真司も、わたし世代では青春ですね(笑))

その「終わりなき日常」で改めて思うと、90年代後半の「終末観」というか、オウム事件があって阪神大震災があって酒鬼薔薇事件があって、みたいな時を20代前半として過ごしてきて、テロがあって、でもなんてことなしに20世紀が終わって21世紀になって、働き初めの社会人として、ひとまず10年、と一息つくと、黒人初の大統領が誕生したりして(「あ、なんか世紀が変わったって感じの代表事象だね」というのが本件に関するわたしの第一の感想ですけど)そういうことひとつひとつが、良かったことにしろ悪かったことにしろ、都度「世の中とちゃんと向き合ってきたか」が大事かな、と改めて思いますね。

どちらかというと、世の中がいい状態のときより、悪い状態のときのほうが世の中や自分と向き合わないといけない機会はきっと多いですかね。「ロストジェネレーション」とか「不況の世代」とか、まわりからは可哀想な感じて捉えられる世代なんですが、わたしはそのタイミングで歳を取ってきたことを肯定的に捉えたいと思います。

マインドを肯定的にしておくために散歩する。
今日たまたま「ラーメン二郎」の系列店がオフィスの近くにオープンして、「ラーメン二郎社訓」ってのを見たんですけど、同じこと書いてましたね。(笑)

夜中に街を散歩しながら、15年ぐらいいろんなこと考えてきたんですけど、歩くって物理的に前に進む運動なので、歩きながら考えるっていいことなのかもしれませんね。(笑)マンガでよく思い悩んでいるときに、同じ場所をぐるぐる回る描写がありますけど(笑)散歩は(特に夜中は)なんにしても歩き続けるしか、ない。

夜中が空気が澄んで、気持ちのよい季節となってきました。夜中散歩、運のいいことに「職務質問」は一回もないですけど(笑)今年も何回出来ますかね。