シアトリカル

久々にレビューのようなものを。

昨日フラグメントフロアのH君とその同僚のH女史に誘われて、新宿ゴールデン街劇場で大島新さん(大島渚さんの息子さん)の処女映画「シアトリカル」拝見してきました。
http://www.theatrical-kara.jp/

唐十郎と劇団唐組をおっかけた、ドキュメンタリー7割、演出2割、どっちかわかんない1割の配分での「作品」だそうです。(自称ですよ)。

大島新さんというのは、もともとテレビマンだった方で、「情熱大陸」なんかをお作りになってらっしゃった方だそうで、情熱大陸で唐さんおっかけて、テレビサイズじゃ収まらないなこの人、というのが作った動機だそうですが、私は面白く見ました。

私は、大島渚とか天井桟敷(寺山)とか状況劇場(唐)といったものは、新宿文化吸収に絡んである程度予備知識はあったんですけど、予備知識があるかないか、でだいぶ作品の捉え方(やオチへの対応)が変わってくるよね、と思いました。

ドキュメンタリーというと、フィクションにはない「素顔の被写体」が映し出される、というイメージがあると思いますけど、ここのブログで「オミズマインド」としてカテゴライズしている文章群のように、「本当の私」という定常的でナイーブな状態は本来あり得ない、というのが私のスタンスです。

もしそういうスタンスじゃ無い人がこの作品を見ると、「ここはやらせだな」とか「ここはほんとだな」とか思うんでしょうけど、わたしとしては、それはどっちでもよい、なので、トータルで「唐十郎」という人間像を受け止めて見ていました。

トータルで見て感じるのは、唐十郎や唐組の皆さんの人間像とは別に、そもそもモノづくりに対する「手間」とか「愛情」といったものの美しさ、ですよね。舞台作りからセット制作から宣伝活動から実演まで、全部自分たちでやる。その手触りでモノを作っていくことの美しさ(大島新さんは「恍惚感」とおっしゃってましたが)ですよね。掻いている汗とか、食いしばっている歯とか、悩んでる眼とか、活き活きした演技者としての顔、とか、時折移るそういうものは、それはフィクションでは作りきれない、それこそ「素」直なものが写っていたように思いますよ。

ドキュメントのような、演出のような、混ざり混ざって上映90分が経過して、いよいよラストシーンです。手塩にかけて作ってきた演目の初日が終了して、赤テントの裏で安堵する唐十郎にカメラがズームアップして、「カァットォ」とパチンとやるやつ(名前分かりません)がフレームインしてきて、「お疲れさまでしたあ」の掛け声。その後唐さんの「自分自身を演じることが一番難しいね」の一言で暗転、エンドロールとなります。

あたかも、ずっと演技だったんだよ、的なエンディング。これは賛否あると思いますが、わたしは逆に混乱してよかったですね。

「これはドキュメントなんだ」と思って作品を見始めて「いや、これは演出だろう(やりすぎだろう)」という箇所が出てきて「でも唐十郎だったら素でやりかねないよな」と思って、途中でどうでもよくなって(笑)、ドキュメントだろうが演出だろうが、もうどうでもいいやと思って、作品に見入る。見入ると、唐組の演目が終わって、演技が終了して素で安堵しているラストシーンで、この映像も演出でした、という「演技」で終わる。

つまり演技と非演技の境目が怒涛のように最後やってきて、その境界をぐちゃぐちゃに混乱させて終わるんです。

ここで大事なのは「唐十郎だったら素でやりかねない」と思える観客の知識ベースがあるかないか、で、唐さんをまったく知らない人には「なーんだ、やっぱりやらせか」と逆に単純化、スッキリさせちゃうエンディングじゃないかなと思います。

大島新さんが、どういう意図だったかは定かではありませんし、そもそも唐十郎を全く知らないという人が、この作品をどれだけ観るんだろう、という問題は別として、わたしにとっては、そういう意味で「モヤモヤ」する(笑)楽しい終わり方でした。複雑フェチ、ですし。(笑)。

今、テレビも報道制作サイドの「ドキュメンタリー」に力を入れる、というようなニュースが出ていて、視聴者もそれなりに反応しているようですが、この作品を見ていて思うのは、実は今、テレビで「人がただモノを食う」とか「笑わせるという緊張を強いて芸人を追い詰める」とか「バカや欲をさらけ出す」とか、制作に手間と愛情がない故に出てしまう「ドキュメント性」が、見てる側は単純に辛くて嫌なんだろうな、と思うのですね。
「見るに耐えない」というやつですね。(笑)

この作品やテレビで流れる報道系ドキュメント番組と、他垂れ流しのテレビ番組を対比すれば、ドキュメントの非ドキュメント性と非ドキュメントのドキュメント性というパラドックスが発生しているように思います。

私としては、ドキュメントでも演出でも、そこに手間と愛情=知性があれば、別にどっちでもよいし、面白いものは面白いし、つまらないものはつまらない、だけですよね。

という意味で、「シアトリカル」、久しぶりに印象に残る映像作品でした。それは唐十郎という人間や唐組に情熱を燃やす人たちと、大島新さんというひとつの知性が絡まって「ちゃんと作った」。ドキュメントか演出か、以前に、昨今「手間」と「愛情」が忘れられているグローバリズムの世界で「良質の=ちゃんと見るに耐える(演劇)(映像)作品を作る」その気概に刺激をダブルで受けるだけでも、観る価値あり、と思いますけど。

その後の大島新さんのトークも面白かったのですが、それはまた後日に。