対談本に学ぶ

朝の5時は最近は暗いですね。コーヒー飲んでたばこ吸っても、テンションがイマイチ上がりませんね。(笑)

さて、昨日の橋本治内田樹の記事を踏まえさっきググッてみたら、3年前のが昨日の記事に切り換わりました。良かった良かった。(笑)

さて、その本は筑摩書房から出るみたいですが、対談形式なんでしょうかね。よく分かっていませんけど。例えば往復書簡形式というのもあって、あれは読みずらいですね。往復書簡だと、前回のおさらいから始まる、とかがあって、話がなかなか先に進みづらいんですよね。

その点、対談形式は展開が早いし、口語調なので理解しやすいですしね。根がオミズのわたしが家族に見捨てられなければのカッコつきで(笑)子供が中学生ぐらいになったら、書斎の本棚の前面にわたしが所蔵している怪しげな対談集を置きますかね。自分が中学生のときっていうと80年代後半ですけど、本屋をプラプラして「村上龍VS村上春樹」「村上龍VS坂本龍一」「細野晴臣VS中沢新一」とか、ああいかにも80年代っぽい、という対談本を買って読みましたね。

加筆修正があるとしても、基本は会話ですから、分からないところを飛ばしてもなんとなく全体像と、本当に言いたいこと、はボワーっと理解は出来ますからね。だから中学生でも読める。読んで、読めない漢字を調べる、ぐらいでもかなりの知識になるでしょうし、そもそも「分からないことに耐えながら読みきる」という訓練は、結構粘りを作ると思うんですよね。後で「あ、あれ分かった!}という瞬間が訪れて、それだけで生きてるの、楽しいですし。(笑)

この話は昔どこかに書いたことがあるんですけど、折しもバンドブームの頃、多々音楽雑誌が発売されて、特に中高生の女子に向けた雑誌なんか見てるとオールインタビューで、全部バンドと編集者のやりとりがそのままテープ起こしで原稿になっているという(笑)、そもそもそんなので育ってますしね世代的に。

会話力とか対話力とか最近言われてますね。朝ごはんを家族で食べよう、とか言って、パン業界だかお米業界だか、どこが裏で学識者を動かしているのか知りませんけど(笑)、家族の朝ごはんの会話が子供の知能に影響するとかいって、また危なっかしい情報(笑)が飛び交ってますね。確かに幼児でも親やまわりの大人がする会話をジーっと聞いて、自分の情報を増やしたりしてますけど、もっと言えば、会話の中身より、自分の親がまわりの人間とどう会話するか、対話するか、振舞うか、を見ているんですよね。

だから、その「朝ごはんと子供の知能の話」は嘘でもないけど、別に朝ごはんに限りません、だし、政治経済社会的な会話してりゃいいかっていうとそれだけでは、実は表面しか見ていないですね。睡眠学習じゃないんだから(笑)子供が理解できない単語で会話が続いたって、それは2次的な効能でしかない。そうではなくて、大人の会話の中に「他人の悪口」とか「罵り」とか「軽視」とか「愚痴」「後ろ向き」とか、逆に「敬意」「謙虚」「明るい」「楽しい」「肯定的」とか。

つまり、子供の知能に影響するのは、内容より、むしろそっち(会話の雰囲気や臨む態度や振る舞い)でしょ、と思います。

「育ちのよさ」という言葉がありますけど、それは金銭的な裕福、という意味ではありませんよね。金銭的な裕福が産む「家族の余裕」の元で育つから「育ちがいい」わけです。文句や愚痴や怒りや悲しみの中では育たないから、ですね。ですから、仮に貧乏でも、親が「余裕のある振る舞い」を子供に対して出来ていれば、「育ちのよさ」は実現できる、って理屈的には、そうですかね。

そういう意味で、自分が中学生の頃対談系の本とか雑誌から、書いている内容よりも「言葉の選び方」とか「前向きさ(バブルの雰囲気を込みですけど)」とか「会話の流れのスマートさ」とか、そういうのたくさん学んだんだろうなと思うわけです。勿論良くも悪くも、ですけど。(笑)

活字の世界ですけど、それは親以外の大人から会話や対話の振る舞いを学ぶ貴重な機会であることには代わりない、ということで、やっぱり子供が中学生になったら対談形式の活字をそれとなく提供しようと思います。

ということで、旧知のお友達のお仕事ですけど、AV監督のインタビュー集とかから、提供しますかね。(笑)
http://www.sol.dti.ne.jp/~otb/

突き抜けも甚だしい人たちに対峙する、インタビュアーの「人間力」に学べ、ですね。その後お元気ですかケムタさん。