マイケルムーアとテレびじょん

一昨日のエントリで、「つなぎ」の概念の欠如が多くのひずみを産むのでは?という話をしましたが、政治って面から、これをもっと深く見てみます。

最近はタレント議員とかタレント知事とか、「テレビが産んだ政治家」がたくさん出てきています。テレビ、という装置が如何に今の社会を形成するのに重要か、ということの表れでもありますね。

わたしも含めた一般市民のみなさんは、基本的に政治家に満足していませんです。政治家なんてちっとも役にたたないわ、と。
わたしは政治家は「職業」であって、何か自分達を超越する凄いもの、とは思っていないので、まあそんなもんだよね、と思ってます。

特に今は2世3世議員が多いでしょう。ちょっと前にマクロとミクロの話をしました。「世界平和を願う前に隣人を愛せよ」という言葉をひきましたけど、今の政治家にこれをあてはめてみます。

政治家という職業に就く人にとっての隣人は、誰でしょう。まずは「支持してくれる人」ですね。政治家の至上命題は、日本って国をどうするか、の前に「お爺ちゃんとかオヤジから受け継いだ支持基盤」を繋ぐこと、ですね。それを維持することでまずはOK!でいいんです。

そもそもなんで政治家は2世とか3世とかになっちゃうかという話に飛ぶと、政治家として、支持基盤を引き継ぐ、というバトンは、一昨日言ったようにゴールドだけど「うんこまみれ」なんですよ。しかも、相当手ごわい汚物で。(笑)巷では、同族でおいしいところを独り占め、みたいなこと言いますけど、逆ですね。おいしいけど耐えられないほど臭い。だから親族にしか、引き継げないんです。

話戻しますね。

その「支持」と「被支持」の間に、ここ50年ぐらい「テレビ」という装置が入ってきました。支持基盤は、テレビの向こう側にも存在しだした。

テレビでは、「政治家は使えねえ」と言います。「世界平和」とか「私たちの安全」が達成されている実感がテレビを媒介にすると、成り立たないからですね。もしその政治家が、まずは隣人(直接的な支持基盤)を愛していたとしても、直接の支持基盤の人たちが政治家の温かい人柄と配慮に触れていたとしても、テレビは、その事実を無視します。だって、テレビの向こうの「間接的な支持者」は皮膚感覚として実感がないですから。

それとは逆に、「テレビ型」の政治家がいます。直接的な支持基盤を守り発展させるという地味な作業は飛ばして、間接(テレビの向こう)の支持者にアピールすることに腐心する人が出てきたんですね。

つまり、「タレント政治家」ってのは、そのことです。

で、話は「つなぎ」に戻ります。

テレビは「イマ、ココ」しか軸がありません。イマココだけがすべてだ、という軸だけで働いてきたタレント議員に、本来時間をかけなければいけない(もしかしたら自分の名誉名声にはならないかもしれない)政策に時間を費やす、という価値観はあるんでしょうか?

わたしは、そのあたりには絶望的な感じを持っているんですけど、だからやることは急進的にならざるを得ないんだと思うし、タレント政治家は特にそういった「つなぎ」の意識が薄いので、年月を経ると政策はボロボロの継ぎ接ぎだらけ、ってなことになっていくと思うのです。

人間にはそれぞれ器っていうのがあって、器にも段階があって、そりゃ会社の組織と一緒で、政治家も職業である以上「職能」があってそれぞれの器があるわけなんで、支持が強力だからって器の問題を排除して「イマココ」のことだけで、テレビのバラエティみたいに政治も垂れ流してしまうと、とんでもないことになっちゃうんだと思いますけどね。

テレビ崇拝の社会って、怖いなあ。

さてそんな中ですけど、マイケルムーアが、今のアメリカの経済危機を乗り切るための10の提言ってのを、自分のメーリングリストに流したそうです。わたしはある機関紙に載っている記事をメンターに教わって、この事実を知ったんですけど、これがほとんどの日本の大手メディアで語られない、という事実は驚愕で、なにやら大きなものの力を感じますね(笑)

その10の提言の中のひとつに「アメリカ人よ、テレビを見るな」というのがあります。(笑)恐慌だとか世界危機だとか、メディア(と政治家と富裕層)に不安をあおられすぎである、と。あおられて利用されて、無知にもほどがある、落ち着け、と。(笑)

「テレビを見るな」で、実は世の中をちゃんと見られるようになる。この「常識」の逆転って、やっぱりおもしろいよ、と思うんですけど。
「テレビのあった時代」が政治、経済、文化あらゆる面である意味特殊な時代として、後世語られることになるやもしれませんね。