新盆と五輪

帰ってきました。実母の供養にきた100人弱の接客に耐えつつ、脇では常にオリンピックです。しかしオリンピックのおかげで、老若男女、話題に困らずに済みました。(笑)

20代前半の頃サッカーの(フランスだったかな。。)ワールドカップがあって、熱狂する同世代を見ていて「ナショナリズム」について考えて、長い文章を書いたことがありました。残念ながらその時の文章は残っていないんですけど、その盛り上がりは、例えば香山リカの「プチナショナリズムの時代」というような本が出版されることになるし、政治の世界での「小泉純ちゃん圧勝」に繋がったり、マンガで「ゴーマンかましてよかですか」が人気が出たり、とても気色の悪い時期でした。(笑

今思えば、もう昔のことだけど、その流れで現在を捉え、今のオリンピックとそれを取り巻く状況を見ていると面白いなと思います。男子サッカーが3連敗して話題にも上らない、なんていうのは現在を象徴していると思って見てました。


確かその時に書いた文章は、戦後日本を支えたのは「母性」であって、この若者の「右傾化」というか大きいものへの熱狂は、戦前的な「父性」の復活らしきもの、なんじゃないのかって締めたように記憶しています。

それは当たっていたような当たっていなかったような(笑)、つまり父性っていうのは例えば「小泉」といった形で出てきて、でも賛同した誰も父の厳しい教えに耐えて生きることが出来ずに、シュンとして、母性に回帰しようとしたけど、もう母性にも相手にされずに自閉しちゃった男の子と、そんな男の子を横目に見ながら勝ち続けたりする女の子(ナデシコ)ってのが現在でしょうか。


21世紀は「フェミニンな共産主義の時代」であると言っているのは内田樹ですけど、もうちょっと分かりやすく言えば、父性(資本主義社会の権力や名声、拝金、とか現在のおいて「強い」と想定される全てのもの)を疑って、自分の状況を自分で作ろうという気概を持つ人の時代、ということでしょうか。(フェミニンも共産主義も現状を疑う、の比喩でしかないと思いますけど、違いますかね。)

そんな中で、オリンピックで活躍する人々の「突き抜け方」ってのは、やっぱり凄いなと感動します。疑うものを疑い、信頼するものを信じるバランスと強さ。酒飲んで話せば、みんな「左傾」なんだと思うんですけど(笑)イチローとか日本の野球選手がアメリカ行っちゃうのとか、そうだよね。左傾っていうか、自分の精神性とか技術性とかを高める環境があれば、あとは別に関係ないっていう感じですか。

昨日卓球を見てたら、どの国にも中国人がいるんですよね。(笑)卓球の中国国内のレベルが高いので、他の国に帰化して、オリンピックに出るという選択肢。高校野球でも、大阪や兵庫だと競争が高くて大変だから、四国の高校に行って甲子園に出る、みたいなのと一緒ですけど(笑)、こんなのも時代を象徴してますね。そこにもう「ナショナル」感覚はない、と。

なんかでも、金メダル取る人に「2連覇」が多いってのは、何の示唆なんでしょう?スポーツ界でも「2極化」ですか。(笑)どのスポーツも若手の育成には、苦慮してるみたいですけどね。そりゃビジネスの世界も一緒です。

「父性」で無理なら、人をひきつけるのは、国という単位を維持するのは、母性か、カリスマ性(宗教性)か。そんな感じで引き続きオリンピック楽しみたいと思いますけど。