「2016年東京オリンピック選手村予定地」看板に見るデカダンス

今日、仕事で「ゆりかもめ」に乗って、豊洲からお台場の中心地に移動中に「2016年東京オリンピック選手村予定地」看板を目にしました。看板の向こう側には、広大な更地が広がっています。なんだか気持ちが悪くなってきました。

2016年に東京オリンピック誘致、ということで今一大PRが展開されていますけど、また東京が壊れていくのを見るのは嫌ですね。単純に皮膚感覚ですけど。今度北京で行われるオリンピックも、もの凄いゴタゴタの中で行われると思いますけど、昭和39年の東京オリンピックに近い国内状況があるみたいですね。

日本語ロックの草分けとして伝説化した「はっぴいえんど」とその後に続く「ニューミュージック群」は、東京オリンピックで再開発されて消えていく「東京の風景」や、変わっていく都市と人間の哀愁を間接的に表現してきたと思います。バブルに踊る前までの話ですけど。そういった表現の中でも一番憂いでいるのは、「閉じた場所」「隠れた場所」がなくなってしまったこと、だと思います。街は潔癖になり、人は平準化した、それは東京という「地方」に住む人間にとっては、たまらなかったと松本隆はどこかで言ってましたけど。「裏と陰があること」というのは、私にとっても大切な「美観」のひとつですので、そういう表現は、だからとても共感できました。(といっても、はっぴいえんどが活動してた頃は「タネ」にもなっていなかったので、勿論後追いの追体験に過ぎません。わたくしは)

まあ、そんな感覚的でノスタルジックな感じで「オリンピック反対!」ってのでは、あまりに感情的過ぎます。私が言いたいのはそうではなくて、そこに「夢」や「希望」はあるのかな、ということです。
オリンピックを誘致すれば、投資と回収の規模が大きくなって、雇用は創出され、国も民も潤う。国際的な注目度も上がり、成功させれば副次的な効果もたくさん生む、近代オリンピックというのは、そういう構造ですけど、今度のオリンピックは、その「大きな動き」が「小学生にも分かっちゃう」という感じを、私は「なんだかな」と感じます。
昭和39年のオリンピックは、きっと夢や希望を国民に与えたでしょう。道路が空中を、ビルの間をすり抜けて作られ、観光客のために、今まで食べたこともないような食べ物が街で食べられるようになり、オリンピックとは関係のないところでも、そういう「ワクワクさ」は、2016年にはないよねと思います。

誰もが、昔の手塚治虫のマンガ的な「夢」も「希望」も「ワクワク」もない、サルでも裏が分かるような「シラけた再開発」と、それに続くオリンピックの開催って、やる意味あるのかなあ。それはとても疑問ですね。
ただ反対っていってるのは誰でも出来るんで、じゃあどうやったらいいんでしょうね?

それでも事業を創出して、雇用を創出する、はやらないといけないし、オリンピックに纏わる再開発に変わるものってそうそう考えつかないんですよね。帝国データバンクの倒産情報とか見ても、特に土建関係はひどいもんね。
だったらいっそのこと、オリンピックもコンセプチュアルに自由に出来るんなら、テーマパーク的なオリンピック再開発にしたほうが、よっぽどいいと思うんですよ。国技館みたいな建造物に全部しちゃう、とか、エコを意識した緑を増やす街づくり、とか、街の根本を覆しちゃうような事をしちゃう。あと8年しかないけど(笑

どうせなら、楽しくて夢がなきゃ面白くないと思うけど、今はなかなか、そういう手塚治虫的な「夢」や「希望」は持ちにくい。「オリンピックが日本で行われるんだよ」「なになに?オリンピックって。なんだかわかんないけど、おもしろそう」っていう感じ、日常でただ何かを期待して待つだけの生活だったら、ないよねえ。そこから考えると本質的にデカダンだな。現代人って(笑)

だから、今は断片化しちゃった床群から、小さな楽しみ、夢、希望を見つけてきては、自分のフロアに積み上げて、デカダンを超越して前向きに生ききるような「備え」をしなきゃいけないって、あ、また「FragmentFloors」の啓蒙宣伝だなこりゃ。。

どうして「前向き」に生きなきゃいけないんですか?っていう質問がちょっと前に2,3個下の女の子から飛んできたことがありました。そりゃ心身共に「これ以上後ろに行けない」という経験を個人的にしたという、ただそれだけのことなんですけどって。人生、「それでも生きる(死ねなかった)」のであれば、絶対「前向き」のがいいと思った、ここは経験則的な見解でしかありません。
その時もうひとつ言ったのは、どう生きようが(死のうが)勝手ですけど、シラけてふてくされて、世間に周りに甘えるのだけでは「かっこわるい」、だから「生きる」なら前向きに「甘えず」にフラットに振舞いたい、これも個人的な美観の問題で、別に「そうしなきゃいけない」っていう強制力や根拠は何もない。

オリンピックも「美感」と「皮膚感覚」で「どうかなあ」って言ってますけどねもちろん(笑)モノローグ。