無害と有害または主流と非主流について

コーネリアス問題については自分のこれまでやこれからについて整理することとイコールなので、月曜ランチの後、少し突っ込んで考えて記録しておきたいなと思います。

もちろんだいぶ前の出来事とはいえ免罪される類のものではないので、その責任をずっと背負っていく意味でも、あたしも辞任したほうが良いと思いますが、あたしが考える今回の問題の本質は「どうしてコーネリアスはオリンピック式典の音楽担当なんて正面から受けたんだ」ということに尽きるのではないかと考えています。

かの山下達郎は「テレビ出ない、武道館(以上のキャパ)でライブやらない、本書かない、チャリティに参加しない」を表明していまだに貫いておられますが(先日CSの邦画特番に出たんだけど静止画で出るという荒業笑)、それで思い出すのは、オールナイトニッポンをやっている頃の電気GROOVEがAAA(ACT AGAINST AIDS)のオールナイトニッポン全体でのチャリティ活動に帯のパーソナリティとして唯一参加しなかったということ、達郎さんも卓球さんも自分が「世の主流ではない=サブカルチャーな存在である」ことに自覚的である証左ですが、その後時は流れて、才能や運を持って主流の波にテレビタレント・俳優としていつのまにか飲み込まれていったピエール瀧が、主流であることの違和感ゆえ薬物に頼らざるを得なかったということに象徴されるように、本来はそのようなことに自覚的で常に自己相対的に自分をコントロールしているように見えた存在であったコーネリアスが、というように思うのです。

本来主流ではないものがたまたま主流に来てしまう、ということは稀にあり、その過去もっとも象徴的だったのはYMOだったと思いますが、90年代中盤のオザケン然り、最近では星野源さんがそうだと思います。(見事な20年周期なんですよ)

そうなった状況に激しく抵抗する人もいるし、途中で降りてしまう人もいるんですが、それを逆手にとって愉しんじゃう才能や運が星野源さん(とその周囲)にはたまたまあったという風に思っていて(そしておそらくYMO、というか細野さんの過去の反省が活きているのではないかと個人的には思いますが)、あたしは星野さんがあまりに今回主流を無理なく愉しんでいるあまり、本来主流ではない細野さん界隈が少し麻痺してしまい、自分たちが主流になることの警戒心が薄れ、その結果の今回があるんじゃないかとも思っています。

「主流」と「主流じゃない」ものの違いは何かといえば、それは「表現に潜む毒」であると思います。有害か無害か、と言う時に無害は悪であるとさえ若い頃は思っていました。誰しも毒を持ちあわせているわけですけれども、若い頃の施しきれない毒をサブカルチャーは抜いてくれるひとつの処方箋だったわけですし、その人の持って生まれたもの、その時の状況や心理状態に救いを与えてくれる雑多なものの総称とも言えるわけで、だからすべてのサブカルチャーはずっと一部(サブ)であり、全体ではないので、今回のように全体のフィールドに引っ張り出された時にどうしようもなくなってしまうのだと思います。

あたし14~15歳ぐらいの時に、当時一番カルチャーとして尖っているところに(だいたい隠れて)触れることにより救われていた人間なので、例えば同時代にいた、ドリカムとかKANとか大事マンブラザーズバンドとか、そういう(商売の戦略的にですけど)無害な(しかし故に主流になってしまう)集団が大っ嫌いだったわけですね。(笑)

夢がかなうとか、愛が勝つとか、努力は報われるとか、なにおべんちゃら言ってんだと唾を吐き、もっと人間の中のぐちゃぐちゃした内面の混沌と狂気を表現するような、正視するに堪えないが、もっと率直に物事を表現しているものを探していました。だから同級生のドリカム好きの女の子にドリカムは嫌いだと悪態をついて、いま思えば失礼なことをしましたが、それは偽悪ではなくて、あたしなりの素直であったわけです。

でもそのドリカム好きな女の子のひとりに、後で大人になってからたまたま会うんですけども、ストレートで入った国立大を数か月で中退して、自分の人生を考え直してると告白されて、まったくそういう毒とは無縁で、無害な存在のように見えていた女の子がそんな人生を選んでいる、うーむ、その「ドリカム的なもの」への偏見があたしはその時に取れるわけです。でも確かに当時から眼は強く鋭かったですけどね。その女の子。お元気かしら。

そしてその後、これは何回も書いたことがありますが、20代中盤に、接待で連れて行かれた市川猿之助スーパー歌舞伎を見て、何の意味も脈略も毒もない舞台において、猿之助が宙吊りになって2階席に消えていくエンディングとそれに狂喜乱舞する観客のご年配の皆さん方を見ながら、それまで下北や神楽坂でアングラ演劇しか見たことがなかったあたしに「表現に意味(毒)を求めすぎるのはいけない」というパラダイムシフトが起きて、イマに至るのです。(笑)

あたし自分の会社を経営していて、いつも「身の丈」と言う言葉を使い、ものさしとして使います。自分の身の丈の範囲には、もちろんその上述の、若い頃に自覚せざるを得なかった「自分は主流ではない」ということも含まれています。ずっとあたしは主流ではない。でも主流ではなくても、ささやかながら独自に自由に生きられるニッチな場所はあると信じ、探して、今に至るわけですけれども、その「身の丈」という尺を忘れたことはありません。それはまさに、あたしが10代から世話になってきたサブカルチャー総体からの「学び」であったわけですから。

コーネリアスは、どういう気持ちで国家行事に携わるという身の丈を超えた決断をしたのでしょうか。昨日書いたように細野さんに頼まれて断れなかったのか、歳をとって自分の子どもや家族のためにも名声を残したかったのか、それとも経済的なことなのか、憶測はいろいろできますけども、あたしが知るコーネリアス、そしてこの30年、いまだに足を抜くことができないサブカル出自の身としては、「そんなあたかも、運動会に真剣に参加するようなことしちゃって、本気っぽくてかっこわるくね?」とこれまでの文脈ならそのように当然判断されるところ(まさにサブカル的なひねくれ精神笑)を、どうしてあんな謝罪文まで出して醜態を世界に晒すはめにまでなったのか。自分事として、いろいろ考えた週末でした。

星野源さんは主流になることをある意味パロディとして愉しめる才能や運があったとして、そこにYMOの過去の苦い経験が活かされたろうことは既に書きましたが、星野さんや小山田さんの師匠スジにあたる、結果的にはいまだに国内外、主流からも非主流からも称賛を浴び続ける細野晴臣御大の、もちろん全体を取り巻く圧倒的な運の良さと才能、そして天然的な気まぐれさと「図ってるけど図らずも」となる細野さんなりの計算の同居、理想主義と現実主義の同居、などなど、まさに「人生の達人」と呼ぶべき暗黙知のオンパレートで、あたしも(勝手に)弟子スジのひとりとして思うのは、残酷的に「命は一代、名は末代」だということなんで、それは大瀧さんもそうでした。

ここまで書いてきて、このリンクの、数年前の細野さんのベスト盤2枚を弟子スジ二人がセレクトしたシリーズを思い出しました。いまとなっては色んな伏線を含む企画であったのであろうと思いますが、その後のオリンピックを取り巻く迷走を経て、イマここに至り、なんとも言えない気持ちです。

https://tower.jp/article/news/2019/07/16/tg005

2000年ぐらいでしたか、はっぴいえんどの3次ブームが起こった時、細野さんのオールタイムベストボックスが出たんですけども、そこに選曲されたものの中に、細野さんの初期作品=習作の時代&迷走しながら作っていた時代の作品を解説する時にこう述べています。「良いことも、悪いことも、自分がしたことは全部回り回って自分に還ってきちゃうんだ。思い出したくもない過去と、こうやって改めて向き合わざるを得ないのは辛いね。」と。

20年後に、師匠の言葉がここで重く響くのでした。