考えるチカラ

この間ふと小耳に挟んだが、東京に路面電車が復活するそう。壊したり作ったり忙しい。

路面電車は、1970年代まで東京を走っていた。今の営団地下鉄の網の目を昔は地上を走っていた、と考えてもらってよろしいんかな。

壊したきっかけはおそらく東京オリンピック。高速道路が必要になって、街の区画整理が必要になって路面電車は壊すしかなかった。

僕が別に電車マニアではないし、その時代をリアルタイムで生きてきたわけではないけど、なんか気になった路面電車はっぴいえんど(というか松本隆)の世界には路面電車がたくさんでてきたし(その影響からか、最近の「レミオロメンというバンドの「ロメン」は「路面」でしょ)
今現在、唯一都内を走る路面電車都電荒川線」も何回も乗った。19の時、彼女と訳あって二人で号泣しながら雑司が谷から早稲田まで乗ったこともあったっけか。いろんな想い出もあるんです。路面電車

なんでまた作るか?

最近「スローライフスローフード」運動なんかが左翼系から出てきたりしてるし京都議決書なんかの環境問題なんかが再び熱くなってきてそういう流れの中で、もう一回路面電車見直そう、みたいなことなんだと思う。

路面電車の復活はうれくないわけではないけど、なんかねえ。

この話を友人としていて、やっぱり「東京オリンピック」よもう一度、ってな流れもあって、街の再計画の一環としての路面電車復活という意味では僕はどうかなと思っている。

近代オリンピックの考え方そのものもそうだけど20世紀的な「重厚深大産業盛り上げ」な動きってのはそろそろやめたほうがいいんじゃないかってね。

聞くと、うちの親父が大学生の頃、交通経済学で路面電車の廃止をどう思うかみたいなレポートが宿題で出たらしく、うちの親父はノンポリだったのでまあいいんじゃないっすか、みたいなの提出したらしいんだけど(笑
その頃はなんといっても打倒体制の時代ですから、大学の毛色的に雇用確保的な意味合いでの「廃止反対」路線が、いい成績をもらえたそうです。(親父談)

ただね、つまり都市計画というものを「進化系」としてしかどちらも捉えていないって意味では右も左も一緒であるものを再利用、再加工して使う、といった視座がまだないんだな。
コラージュみたいなものがやっとアバンギャルド芸術から出てくるような時代だからまあ仕方ないんだけど。

最近は、給食費が払えない家庭が増え、医療費を滞納するお年寄りが増え、これって切実な問題だし、あんまりこういうのが増えて声が大きくなるとやっぱり政治だって場当たり的に「救済措置」を出さざるを得ない。

20世紀にそれを支えてきたのは「インフラ整備」
つまりダム作れ、道路作れ、建物作れっつって、雇用を拡大して、経済を上向きにさせてきた。

21世紀もまたおんなじことやるんだろうかねえ?

政府はどんどん小さくなっていって、みんなを助けたりできない様になってくよって言ってるけど、貧しくなっていくことを相変わらず政治のせいにしようとしている風潮だよね。マスコミの言い方なんかも。給食費を滞納しているのも医療費が払えないのも政治が悪いんじゃん。って
相変わらず開き直ってしまう。

だって「やらない」んじゃなくて「できない」って言ってんじゃんか。政治はさ。できないっていってる人に昔は良くしてくれたじゃんって引き下がんないって感じでしょ。これは。

一転、今の若い人のフリーターニート問題ってのは、誰も何も言わないし働きかけてもくれないので、何もしないし、出来ない。これも思考放棄の一種だけども、まあ原理としては同じ。

そういう人がマジョリティなんだってのを浮き彫りにしちゃったんだな。最近の社会は。たぶんこれが社会を暗くしている原因だと思う。新聞の部数は出てるけど、ちゃんと読んで考えてる人は少ないっていう事実はあっても、日本人のほぼ全世帯に新聞は配られてますっていう数字で誤魔化せてたものが、誤魔化せなくなってきちゃった。
そういう隠されてきた事実が次々と浮き彫りになってきて、日本って思ったり住みずらいぜ、知的な人って少ないぜ、オトナって少ないぜ、っていう風に思う人が増えてんだよね。これってやっぱり暗くなるよね。(笑)

勿論個人で出来ることには限界があって、政治や社会や会社のせいにするってのは、自分の身を守るためには必要なことではあるし、自分の力ではどうにもなんないよって人のほうが、世の中多いことも事実として出てきた。分かっててそれをやったって意味じゃ、政治も無責任なんだが。。
でもそれほど「逼迫」してたんじゃないのかなあ。国の状態は。実はね。

最近「考える力」っていう言葉をよく聞くね。
もうひとつ僕としては、考える力があるって自負してる奴に対してほんとに自分の力で考えてんのかよって思う。今の自分の状況はなんのせいなんだろう?って。
最終的に誰かのせいにだけしてるうちは「考えて」ないんですよって言いたい。自分で自分の状況を変えられない人に「考える力」を語る資格はない。そう思います。

そういう中途半端な人の実は都合の悪い時だけ噴きあがってる自分の姿をもう一回冷静に自身で省みるべきで、見ているこっちもやるせない感じになっちゃう。僕は社会に対して暗くなる原因は実はこっちだったりする。(笑)

セーフティーネットのない優勢劣敗社会になるって気づいた時点から、縁のある人ぐらいとは、相互扶助の関係を作ろうと思って、日々生きてて、類は友を呼ぶで、みんなちゃんと自分の思考を大切に出来る人ばかりだと思って接してるんだけども、こんだけ見事に状況が脆くも崩れていくと、当然「考えていると自負する」人の中にも、思考放棄者が出ちゃうんだよね。

そういう人の最終的な甘さとか身勝手さとか公共性を欠いちゃう感じとか目の前で見せられちゃうと、ほんっとに厳しい時代だなってなことを再認識します。ハイ。