女流文筆家について

ちょうど一年ぐらい前に書いたエントリーの中に、「ズーニー山田」という単語が出てくる。http://d.hatena.ne.jp/fraflo/20050311:80年代っ子世にはばかるというエントリーだけど、上野千鶴子直系のフェミニストのコラムニストの本を皮肉って批評している内容に出てきた。

ズーニー山田というのは勿論ペンネームで、日刊イトイ新聞という糸井重里一派が運営しているサイトの人気コラム「大人の小論文教室」を書いている40過ぎのオバサン文筆家がいる。最近このコラムが立て続けに単行本化されていて、読んだ。サイトでもたまに読んだりしていたが、この人は面白い!と思う。

元々この人はベネッセコーポレーション(昔の福武書店)の高校生向けの小論文教材を作っていた企業戦士で、5年前に独立して、文筆家になったらしい。大人の小論文教室というのはその独立してからの紆余曲折を「コミュニケーション」というのをキーワードにエッセイ風というか、日記のように書いてきたものだろうと言ってよい。「教室」と銘打ってはいるが、自分の生活実感とかがかなり登場する。

僕がこのコラムを知ったのは、当時同僚だった女の子と5人の新卒社員の面倒を見ていたときに、かなりの出来の悪さに2人で悩んで(笑)よく巣鴨の「土風炉」でお忍びで飲んでは今後の戦略を考えていたのだけど、その時にその子が教えてくれたのだった。ちょうどその時、単行本にも出てくる「一人称がいない」というテーマの連載中で、引き込まれるように毎週読んだ。

この人はとにかく「正直」だ。「まっすぐ」と言ってもいい。高校生相手に真剣勝負をしてきた人だから、当然といえば当然なんだけど、時々こちらが気恥ずかしくなるぐらい文章に地が出る。それが人気の理由のひとつであることは間違いない。

例えば「愛」について語るとき、おそらくズーニーさんは人を愛している最中だ。とかね。この人は「子宮でものを言う」というタイプだ。(笑)教育者に向いている。企業戦士は向かなかったんだろうなって想像がつく。清濁をあわせのめるタイプではない。もの凄い清のパワーと運を持った人で、文章からその力が伝わってくるのだ。この揺さぶられ方、心に響く純の感じは、なかなか出せるもんじゃないよね。

その1年前の僕のエントリーでもズバリ指摘しているけれど、上野千鶴子直系のフェミニスト軍団あたりの本とかは、つまりオヤジ相手にムキになってけんかして、とか、男に負けるかとばかりに片意地張ってむちゃくちゃ難しい表現内容にしたり、とか、女流文筆家というのはそういう感じがもの凄く強かった。特にアカデミックや教育といった分野ではね。そういうのと比べるとズーニー山田という「女流文筆家」の光り方は、独自性があって、かなり今後「新しい知性」として注目されていくと思う。

それはあたかもね、学校の先生を一般企業経験者から募集するとか、校長先生を企業をマネジメントしてきた人材から登用するとかっていう試みと似ていて、そのうち文部科学省管轄のプロジェクトとかにも呼ばれるようなポジションに行くんじゃないかなあ。面白い動きをこれからしてくれるといいと思う。

で「コミュニケーション」を突き詰めると最後は「愛」にたどり着くというのが一連の単行本の締めになるわけだけど、最近の子達の「コミュニケーション力」特に「他者への距離感、間のとり方、振舞い方」なんかに目を覆いたくなる場面が、仕事でもプライベートでも多いね(つまり不器用、スマートじゃない)。別に気にしないのだけど、かわいそうではあるわけだ。

出来る子も中には少々いるけどね。

同じような境遇とか家庭環境、社会背景の中で育ってきて、その違いはどこで出るんだろう?やっぱり親の背中か?と僕は思っていたら、どうやらこういうことだということを、先日とある私の知り合いが言ってくれましたので最後にどうぞ。

「人を本気で好きになる。本気で恋愛すれば、コミュニケーション能力、振る舞いのスマートさは身につく」

なるほど、でございました。人を本気で愛す、という経験なしに世は渡れん、含蓄のある締めでした。