「有名性の平和利用」が「有名性の悪魔利用」に反転した理由は何だったのかしら

山下達郎さん(というかスマイルカンパニー)と松尾潔さん(以下KCさん)の契約解除の件が凄い炎上してるみたいですね。実際どういう経緯での契約解除の道筋だったのか分からないので憶測の域をでませんけど、散々細野晴臣大瀧詠一山下達郎的な「在り方」を、ここでも散々賞賛してきたあたしが、この件に何を書くか楽しみに、またはこれを機に転向を期待している人も3人ぐらいいるかもしれないので(笑)感じたことを帰宅電車内で一気に書き殴っておきます。制限時間50分。
 
 まず山下達郎とジャニーズの関係というのは、達郎さんのビジネスパートナーとして70年代から二人三脚の小杉理宇造さんという人が、デビューする近藤真彦のディレクターに就任した時から始まり、その後キンキキッズや嵐、最近では木村拓哉に曲を書く流れとなるわけで断続的に40年近くになると思いますが、ジャニーズのスマップ派閥と嵐派閥の抗争の中で、創業家(嵐派閥)を支援する小杉さんがスマップの解散騒動の時、中森明菜の金屏風会見の時と同様に剛腕で事を進めようとして、その影響でおそらく引退、一線を退き、その後小杉さんの後釜に就いたスマイルカンパニーの社長は元ユニバーサルレコードの社員ですから、達郎さんとジャニーズに定常的な利害関係はないでしょうし、今回の件は、まずもってユニバーサルサイドのジャニーズ界隈に迷惑がかからないようにスマイルカンパニーとして対処する、ということでのことだったろうと思います。
 
そんで、松尾さんのやり方が
①ジャニーズ批判をスマイルカンパニー所属でやれば、当然軋轢や問題が出て、周囲に迷惑がかかることを分かっていながら批判を繰り返し
②おそらくスマイルカンパニー側からの再三のお願いや警告があったにも関わらずそれを無視し
③そして今回のツイートも、このような騒動になることを分かったうえであえてやっている
ことが明確なので、余計にこじれたなという風に思います。
 
勿論昨今のジャニーズ批判はあって当然ですし、再発防止や被害者救済がうやむやにされずに正面から行われることを願いますが、KCさんには、そのジャニーズ問題の前に「山下達郎という人間への個人的恩義と信頼関係性」があり、それをぞんざいにしているところについて、達郎さん側がジャニーズの問題云々の前に、これはもう関係継続はダメだという風になったんじゃないかというのがあたしの見立てです。
 
なせその見立てなのかは、あたしこれに似た経験があるんです。Aさんという人に頼まれてBといううちの割と重要で力を持った取引先を紹介したんですけど、AとBがもめました。結構派手に。(笑)それで、そのもめた内容如何に関わらず(例えばBが一方的に悪かったとしても)、あたしの立場からはどうするかというと、BにAを紹介したことを謝罪し、Aとの関係は切るわけですよ。
 
なぜか。だってあたしがAにBを紹介したということへの感謝、あたしがBとの信頼関係構築した努力への敬意みたいなものがどこかに吹っ飛んでズタズタにされてしまっているわけなんで、Aの主張がなんであれ、そんな人と付き合い続けても、また何かに利用され、かき回されるだけなのが見えるからです。(もともとAにはそういう、ある意味の駆け引き上手な政治気質があったことに気付いてはいたのですが、それでも困っているならと紹介したあたしが、そもそもバカでした。)
で、Bとの取引はそれで一時期厳しくなったのですが、元に戻して現在も堅調に続き、雨降って地固まる的に帰着したのでした。
 
Aさんはもめる前に静かに撤退すべきだったとあたしは思いますよ。どんな理由があれ、紹介者に迷惑がらかからないように配慮するのが最優先ではないのかな、と。
 
はて、達郎さん(とスマイルカンパニー)はここでいうあたし、Aは松尾さん、Bはジャニーズに置き換えてみて欲しいんですけどね。
 
「世界平和を願う前に隣人を愛せよ」という言葉があるわけですけど、お世話になって、恩義がある人との歴史や信頼関係を「ぞんざい」にしてでも(というかそれを逆に利用する形で)何か自分の主張や正義を突き通す、というのは、スジが違うわけで、あたしがKCさんだったら、まずスマイルカンパニーを自ら辞してから、ジャニーズ批判しますし、スマイルカンパニーや達郎さんも批判したいなら、その独立した立場で批判すればよいだけです。社員じゃなくてマネジメント契約なんですから、どうして物事を複雑にコジレさせようとしたのか、またはそれを狙ったのか、ケミストリーを売り出す時に(自社以外の男性アイドルは潰せと噂されていた)ジャニーズに邪魔された怨念があるのか(苦笑)、定かではありませんが、解せません。
 
一方で、達郎さんですけど、70を過ぎて、もう充分財産もあるのに、なんであんなにイマも働いているかというと、それはインディーズであるところのスマイルカンパニー及び関係スタッフを食わせるためでもあるでしょうし、昔から世話になっている人(ジャニーズ含む)の頼みを断れない、という義理堅さが大きいんだと思います。
 
みんな山下達郎細野晴臣を大きな権威や権化で何でも意のままだと勘違いしてますけど、長い時間をかけて大手から独立したインディペンデントなポジションを確立してきたわけで、ビジネス規模から言えば属人的で弱小ですからね。自分の力と努力で業界内の独自のポジションを獲得して、しがらみや圧力の少ないところで、手触りで自分の表現を追求してきた人たちなんです。
 
だからそういう長年の信頼関係がビジネス構造の中心に当然なってくるわけで(うちもそうですけど)、あたしがAと関係を切ったように、こりゃもう、このままではスマイルカンパニーのステークフォルダのガバナンスのバランスが崩壊してしまう、弱小だからすぐに吹けば飛んでいく、という危機感から今回の契約解除となったとあたしは思います。
 
「現実的理想主義」という言葉がありますけど、理想と現実を両方成立させたところで仕事を成立させるバランス経営が、特に弱小インディーズには重要なんです。昨今は理想ばっかり語って現実を蔑ろにする口だけタイプと、現実(数字)しか追わず理想のない拝金タイプが2極化する昨今において、モノゴトには表があれば裏があり、右があれば左があり、前があれば奥があるという社会の複雑性に、どうしてこうも人々は対応しきれなくなっているのか、不思議でなりません。ながいものにまかれるか、弾き出されて反発するかしかいなくなり、複雑性と粘り強く対峙する人が、どういうわけか減り続けている。
 
達郎さんがデビューした70年代の音楽を含む「興業界」は、反社との繋がりも含めて、まったくまともな人が立ち入る世界じゃなかったわけです。パートナーの小杉さんと、その中で共に清濁併せ飲んで、自分の理想(好きなだけ納得する音楽を作る)を実現するために、自分のギリギリの判断範囲で(心は売っても魂は売らないという名言通り)現実に対応してきたわけで、その「まともじゃない世界」が、90年代の暴対法の成立以降、反社勢力が衰退し地下化する時代の流れにあわせて、芸能事務所もGS世代以降が経営をするようになるとクリーン化していき、例えば最近のアミューズとかみたいに、立派なコンプライアンスを維持する上場会社みたいな感じになってきて、いまの漂白芸能興業界になるわけです。
 
ジャニーズは、そのまともじゃない時代の残骸として残存し、耐久年数がきて現在のような状況になっている中で、達郎さんはまともじゃない時代からずっと付き合ってきたわけで、差別や偏見の世界もそうなんですけど、達郎さんの50年の音楽生活の中で、その時々の「歴史的限界」(ここで言うなら「まともでない世界と付き合わざるを得なかった時代背景の限界)というものや、その関係性の歴史への想像力もなく、そういう事情もへったくれもない感じに結構な野暮さを感じます。日本のエスタブリッシュメントの一角であったKCさんにこの間何があったのか。。景山民夫さんを彷彿とさせますが、はて。
 
先日タモリギャラクシー賞受賞会見で「最近の(自分の)過大評価にとても苦しんでいる」と言ってました。達郎さんも昨今同じ気持ちなんじゃないでしょうか。
 
達郎さんは高校時代に政治には絶望し、音楽に自閉し、その中で自分の幸せを追求してきた、政治で社会を変えることはできなくても、自分の幸せを追求することでもしかしたらそれで他の誰かを幸せにすることができるかもしれない、というささやかな態度で生きてきたんじゃないかとあたしは思います。それがある意味普遍性を獲得して、有名性が肥大して、今回のような出来事に繋がってしまった。まあ美輪明宏言うところの「良い事と悪い事は連れだってやってくる」の一例ですね。
 
確かに政治の季節の挫折を直接体験した世代以降、「大上段から社会を変える」という視点を欠く世代(あたしも含む)への最近の社会の厳しい追求があるのは事実だと思いますが、そりゃでも、時代の限界、歴史的限界もあったわけです。その中で、現実的理想主義的にインディペンデントを追求してきた達郎さんの歴史、努力、自負、矜持、誇りが毀損されるのはいかがなものか。
 
でもあたしも50歳近くまで生きてきて色んな人見てきましたけど、左右に関わらず「社会を変える」などど大上段に振りかぶる人の(一部の有志を除く)ほとんどが、実は裏にある強烈な自己実現欲求や承認欲求。故に傲慢で繊細さのない立居振舞いで(最近の議員立候補者ポスターの一部の魑魅魍魎を見てると分かりますが)、いろいろいなものを「なぎ倒していく」だけの人々であることが分かるわけなんです。というか60年前の「政治の季節」だって同じで、「バンドやろうぜ」と「ブンドやろうぜ」は同じメンタリティだった、という名言もありますけど、みんな社会変革に燃えていた、という体(テイ)でモテたい、一旗あげたい、とやってたわけで、まあまあ人間の本質ですね。
 
いつぞやのラジオで「ブラックミュージックを世に広めた、まさに有名性の平和利用」と達郎さんをベタに賞賛していたKCさんが、逆に「(自分と達郎さんの)有名性の悪魔利用」にみずから手を染め、既に、そしてこれからもこの件でいろいろなものがなぎ倒されていくだろういう暗澹たる光景を見るのは辛いすな。
 
当然ですけど、そういう「なぎ倒しの作為」とSNSやインターネットって親和性高いんですよ。耕運機で土や植物の細かい状態なんか見ないでガンガンなぎ倒していくのに似ていて、目の前に存在する人やモノとの手触りと温度がある距離にいれば、つまりオンラインで無ければ、なぎ倒しはできないですからね。
 
あたしは10年以上繰り返し書いてますけど、手触りと温度の中で、今日も丁寧に自分の田畑の雑草を抜き、肥料と水をまく。それを「日和見」とか「ノンポリ」とか言うのなら、それでも良いと思いますよ。
 
だからって社会を変えることは諦めたり冷笑するわけじゃないです。ただし変えるには3代100年かかる認識なんで、明日どうこうなる話じゃないんで目立たないだけ。地球が自転してるのが分からないぐらいの感じで行動する。だって100年持続させるにはそのぐらいじゃないと無理は続きませんよ。
 
ダメなんですか、自分の現役でダイナミックな変化を得ないと。
 
ということで、ジャニーズを潰せ、達郎を潰せ、という気配を感じてかどうか、たまたま土曜日にこの本を図書館で借りてましたが、タイムリーすぎて眩暈がします。笑、