PE'Zろん〜昭和リズム史から

日本で今「ジャズ」と「ポップ」を融合させようとがんばっている活きのいいバンド
「PE'Z」
先週ライブ観てきました。いやー良かったね!


ジャズというと「しかめっ面で聴く難しいもの」という
30年来の日本人のイメージをくつがえしにかかっています。
その「サムライ」ぶり。いいですね。


何故ジャズは小難しいものになってしまったのか。


戦後進駐軍の駐留で、日本に洋楽がドバッと入ってきた。あらゆる国の音楽。
マンボ、サンバ、ルンバ、ブギウギ、ドゥーワップ
そういうものを全て「ジャズ」と言っていた時代があって、
戦後の暗い空気の中でそういう「陽気」なジャズをみんなで楽しんでいた、
という動きがあったんです。昭和30年代まで、ですね。
(そういうあらゆるリズムを「歌謡曲」フィールドで体現していたのが 
 美空ひばりという天才歌手でした。)


1960年代中盤になると、「ジャズ」に「即興演奏」という技法が入ってきます。
つまり、コードと展開だけラフに決めておいて演奏者の自由に任せて
曲が進行していくというやり方ですね。
「フリージャズ」というジャンルになりますけども。
これを先端文化に敏感なアカデミックな文化人がアンダーグラウンドでやり出して、
「楽しいジャズ」は「ジャズ」じゃねえと言い出した。
これがそもそもの始まりですね。


これは音楽だけじゃなくて演劇も映画も、みんな同じ流れです。
戦後20年ぐらいたって「敗戦国ハイ」の状態が薄れてきたんだよね。
それが表現にも影響してきて何らかの「メッセージ」がなければ表現じゃない、
という風潮が当時あったんじゃないかな。
(寺山修二の演劇や大島渚の映画の「ハプニング性」というのは
 ジャズの「即興」と同じメンタリティだもんね)


だから「楽しいジャズ」が排他されることで音楽フィールドに居れなくなったメンツが
お笑いにくるわけです。クレージーキャッツ、ドリフなんかですね。


以来、僕達は「ジャズ」というと「暗い部屋」で「ウイスキー」を飲みながら
目をつぶって聴き入る、という感じで敷居が高くなってしまったわけです。


PE'Zというのは、そういう「ジャズ」をもう一回広義に捉え直して
庶民が楽しめるエンターテイメントとしてのジャズの復権に一役買っている
というのは言い過ぎでしょうか。
本当に楽しい音楽です。
戦後〜21世紀に日本に入ってきたあらゆるリズム、音楽が網羅されている。
歴史をきちんと捉えた音楽でしょう。若いのにエライね。


まあ周りの大人の知恵もあるだろうけどね。
(特にプロデューサー「S−KEN」!)


これ、例えば90年代に出てきたとしても、今ほど盛り上がらなかったと思う。
僕もたぶん初期の「暁(あかつき)」以降は聴かなかったんじゃないかな。
僕の周りにはそういう人結構います。


なんでなんだろうか?


アカツキ」まで、つまりインディーズからメジャーデビューまでっていうのは、
「ロック」と「クラブ」という2つのキーワードを中心に回っていた気がします。
勿論リーダーオオヤマとヒイズミマサユ機のポップセンスというのはあったけど、
やっぱりあのリズムの作り方、は90年代のクラブカルチャーを通ってきた人たちには
たまんなかったんだよね。かっこよかったし、エンターテイメント性もぴか一だった。


クラブミュージックがだいぶ生音に近づいていたという2000年あたりの時勢もあった。


それが「アカツキ」が売れて、戦略が変わったんじゃないかな。
「ハレノソラシタ」からね。一部の音楽マニアだけのものでなくてもいける!、
という風に戦略が変わった。


2枚目「極月」はそれを強調しすぎてやや失敗の感ありだけど、
3枚目の「スズ虫」からの「情熱の行方 3部作」シリーズ(「つくしんぼ」「千歳鳥」)
で盛り返したね。
その間に韓国ストリートライブDVDで「原点回帰」を見せるあたりも、
やっぱり1枚目の成功、2枚目の失敗を踏まえたうえでのね。
なんか「熱さ」を感じるよね。好きだな。このDVD。


そういう過程で、やっぱりいろんな「ジャンル」のお客を獲得することに成功した。
例えば先週のライブでも、ポップフィールドの人たちと
90年代をアンダーグラウンドに費やした人たちその両側の一部の人間を
きちっと押さえている感じだよね。
そのライブも日ごとに「ロック」「クラブ」「ジャズ」「ポップ」
とテーマを変えていた。まさに!だよね。


僕は思うんですが、やっぱり若い頃に表現で悩んだやつが
経験を積んでくるとわかることのひとつに「表現に過剰な意味性を問わなくてもいい」
ということってあると思うんです。


非ポップ者の20ぐらいの時って、とにかく意味のない表現は時間の無駄だ
という感じがものすごくあるでしょう。(笑)
「ロックとは何」「ジャズとは何」みたいなさ。(笑)
歳を重ねて知識も経験もつみあがってきたら、
それが殺ぎ落とされてこないといけないんだよね。
世界が狭いだけで終わっちゃうから。


最近分かったことがあって「読書が好き」「音楽鑑賞が好き」
っていうやつはいっぱいいるけど、それを入り口に話しても駄目なんだということ。
普通は「何も考えないで音楽を聴いたり本を読んだり」ということをしなくて、
その歴史性や現在姓や未来性といった意味性をいっつもああだこうだと考えていて、
つまり、表現を通して「何か本質を学ぼうとしている」ということなんであって、
それは映画鑑賞でも読書でも、ただ「消費」として楽しんでいる人と
何らか自分の求めるものを探すためにそれらを吸収していく人と、
同じフィールドで話が出来るわけがないんだ。
そこで「趣味、音楽鑑賞」の意味合いは全然違ってきちゃう。


だから、これからは趣味は「勉強」ってことにしようと思ってます。(笑)


PE'Zというのは、だからバンドの側にもの凄くそういう「インテリジェンス」を感じて
共感もするし、僕は好きです。
なんかバンド、という人格の「生き様」を見ている感じが凄くあるよね。
音楽を消費させるのではなくて、音楽を通して「哲学」を提示する。
でもそれを決してあからさまに表現としては出さない。
だから若い子も三十路も、ポップもアングラも引きつける
度量の深さを持っているんではないでしょうかね。


前もいいましたけど「欲しいものは全て手にいれろ」
それを体現しようとしているひとつのいい「例」だと思います。


ちょっと前、「スカ」を「ポップ」に押し上げた「東京スカパラダイスオーケストラ
とか「マンボ」と「ポップ」を意識した「東京パノラママンボボーイズ
なんていうのが90年代にいましたけども、なぜか「東京」がついた。
(これは80年代的な「TOKYO」カルチャーの名残ですかね)


PE'Zには都市圏だけではなく全国、世界に「ジャズとポップ」を再提示して欲しい
と切に願っていますね。
やっぱりジャズフェスとかに若い女の子が行くってので既に革命の域だよね。(笑)


やっぱりマネジメントもすごいし、それを表現出来るPE'Zの力量も凄い。
S−KEN(というか所属事務所(ワールドアパート))と喧嘩せずに
(この間出たホールライブ音源にS−KENのクレジットが無くてちょっとびびった)
二人三脚でがんばって欲しいな。絶対必要なんだよ。おっさんの智慧(ちえ)がね!
生きた日本の音楽の歴史じゃん。S−KENはさ。


またライブ見に行きたいと思います。
今度はもうちょっとロックっぽいライブが見たいね。