21センチュリーのぱぶりっくえんたーぶらいず

最近痛ましい事件続きますね。ほんとに。なんであんなに女の子が殺されなけりゃならないのか。実際に女の子を子供を持つ親としては、他人事ではありません。

でもですよ。報道を見ていておや?っと思うことのほうが多いでしょ。特に「全国の通学路に監視カメラを設置する」というやつ。通学路っていうか、全国の街角津々浦々にカメラが設置される、ということでしょう?ヤバいよね。

日本は、これからどうやっても「2世3世ばかりの政治家」と「高所得者層ばかりの温室育ちの坊ちゃん官僚」と「アホな大衆」という3つで回転していくんですよね。うちはだから「お上はこうね」「国民の皆さんはこうね」「じゃああたしはこうしよ」っていう俯瞰できる立ち位置に立って人生を歩んでいって欲しいんですけども、これもそのひとつの事象だよねえ。

ETCとか住民台帳とかもそうだし、この「監視カメラ」もそうなんだけど、これは新しい「公共事業」として役人が目をつけてるわけでしょ。20世紀の道路とか橋とか学校とか保養所とかね、そういうものに変わる新しい「利権」として役人が目をつけてるわけでしょ。

まだ捕まってない栃木の事件報道でも出てたけど、道にあるカメラって道行く全部の車撮影してんだってね。こわいよねえ。「それなら安心ね」ってバカかっつーの。(笑)どこに行っても何をやっても自由がない社会なんて、そんないいもんじゃないよね。

じゃあ、お前は子供を殺されて平気なんかっていうお叱りもあるんですけれども、じゃあ通学途中に交通事故でなくなった子供は「仕方がな」くて人に殺されたこともは「仕方がなくな」いんかいって話で、監視カメラの設置なんてなんの気休めでもないよね。

これからは、世の中に子供を連れ去ったりする若い男や、仕事がなくて途方に暮れる外国人が確実に増える「不安社会」が訪れるってことはわかりきってたことでしょ。だから「自分の身は自分で守る」、社会を見通して自覚して、それに備える。それは殺されないために体を鍛えたり武術を身につけるのと一緒で、役人や国の思い通りにならないための「知性」やあんまり何もよく考えていない「まわりの方々」に対してどう振舞うかの「知恵」だって身につけなきゃ、いけないってことだよね。