サンドウィッチマンのボケの人とピエール瀧が似て蝶、について

という話が昨日尊敬するS女史とメシ食いながら出たんですけどね。

去年、たまたまM1グランプリを観ていたらサンドウィッチマンが出てきて優勝して、へーおもしろいと思ってて、テレビは見ないので、ネットの動画で、思いついた時に彼らのネタ見て、へーおもしろい、とまた思って。結構好きですね。

ネタもそうですけど、なんというか、欲の無さというか「職人」的な臭いがしていいですよね。こう、テレビの、大手の事務所芸人が居座る世界で「いつもアウェイ(居心地が悪そう)」という雰囲気も好きかもしれません。

調べて見ると、自分たちが面白いと思っている芸について、つべこべ言われるのが嫌で、小さい事務所に移動したそうですね。なるほどなー。軸があるんですね。

で、そのボケの人(富澤さん)とピエール瀧が雰囲気似てないかって話になりました。

わたしなんかは、10半ばから後半を電気GROOVE的なこと、で過ごした人ですから、影響は素直に認めちゃいますけど、彼らもこう「いつもアウェイ感覚で、自分たちの美感を挫くものには徹底的に反抗する」っていう感じが当時からありましたよね。

わたし前に、「メッセージソングっていやだ」と書いて、でも正確には「メッセージソンガーを崇拝して群がる人が不思議、ということを書いたんですけど、当時の勢いの電気GROOVEをリアルで触れていて、でもやっぱり同じような感じはあったんですよね。尾崎と電気を並列に語ると両極のファンに怒られそうですけど、影響力が強いものを取り巻く状況って、ほぼ同じですよね。

だから「尾崎豊大好きです」と同じで「電気GROOVE大好きです」も、当時あまりこう積極的に言えないっていうところがありましたね。(笑)他人との距離感を取るのがあまり上手でない「信者」さんに、グーっと巻き込まれちゃうので怖いんですよね。

前に清水ミチコが、友達に「業界に同じような立ち位置の芸能人が出てきたわね」って言われて、「誰?」って聞いたら「ピエール瀧」っていう答えが帰ってきたという小話があって、その清水ミチコの友達の感性すげーなーって、当時わたしは感心したんですけど、だから、サンドウィッチマンも、その清水ミチコの系譜を辿る「居心地の悪さを隠さず、自分の美感をまっすぐ芸にする」芸能人として、カウントしてよかろうと思いますけど。(なんか偉そうですけど言い方)

別に「お笑い」とか「音楽」とかだけではないですけど、自分の生活とかで考えても、自分の美感を貫くというのは「自由」ってことですけど、それを獲得することはとても困難なことで、困難だけど、その美感が認められちまえばこっちのもんで(笑)、あとは自由と裏腹のリスクとか恐怖とか嫉妬とかに麻痺しつつ、その状況を明るく楽しみ続けることが出来るかどうかっていう、心と身体の体力の問題だけですもんね。そういう意味で、なんだろうと誰だろうと、そういう自由獲得のプロセス踏んでる人みると、好きになっちゃうのかもしれませんね。

なんかこう、自分が影響を受けてきた(「橋本治内田樹」の本の表現でいくと「参考にしてきた」ですけど)人の本読んだり直接話したりして「わかった!」という概念があって、ここに書いていることはそういうことの言語化ですけど、でもあんまり「タレントの芸や振る舞いを観て」とか「音楽を聴いて」で、概念(という言葉の世界)で「わかった!」っていう脳の使い方しないから自覚がないですけど、こう考えるとやっぱり10代の頃から「なんとなくの方向性」って知らずに血肉化してんですよね。怖いですね。

で、なにいいたいかというと、電気GROOVEもサンドウィッチマンも、というか瀧さんと富澤さんって「おばさん知性」じゃないかなって。「あつかましさ」って、「居心地の悪さ」の裏返し、ですもんね。体毛は薄いかどうか知りませんけどね。

今週はずっとおばさんの話で終わりましたが、口直しに「砂糖 自由 ジャズ」で今週は閉店です。

わたし今までの人生で一番観て良かったライブバンドでした。