哀愁の渋谷系

先週末、おもろ書籍をお借りしました。その名も「渋谷系」というA4サイズの本。楽譜集です。これはほんとレアグルーヴですよ。リアルタイムでも見たこと無かったので。

渋谷系っていう言葉は、90年初頭ぐらいに出来たんですかねえ。要は「おしゃれなサブカルポップス及びそのアーティスト群」を指すことばなんですかねえ。ピチカートファイブフリッパーズギターオリジナルラブカジヒデキ(笑)、ELMALO(裏番長)とかね。あとなんだっけな。いっぱいいたけどね。

でねえ、この楽譜見てメロディとかハーモニーのコード追ってくと、まあセブンスコードの多いこと。(笑)面白い。しかも解説とかも当時の流行言葉とかがバシバシ出てきてさ。凄いです。

渋谷系っつーのは遅れてきた「セカンドサマーオブラブ」みたいなもので。クラブカルチャーが発展してくる中で、要はサンプリング世代(今40前後)YMOのセカンドジェネレーションっていうか、過去の音源引っ張り出して再加工して、オリジナルとして出す、みたいなさ。80年代後半のイギリスクラブシーンで70年代のアメリカの埋もれたソウルミュージックやダンスミュージックが再評価されたり(それがレアグルーヴの起源だよね)したのと同じ感覚でさ。例えばスチャダラパークレイジーキャッツを再評価したりかせきさいだあがはっぴいえんどとかが執拗に引用したり、あの当時ってアナログからデジタルへ、つまりレコードからCDへ以降しきったような時期だったと思うけど、そういう過渡期だったんではないんですか。

あの頃ほんと多かった。70年代の発掘ものは。「歌謡曲ナイト」とかさ。(笑)どっかのクラブでやってたもんなあ。踊れる歌謡曲を探せってな感じで。

渋谷系ってに関しては、僕はリアルタイムだったけど、割と一歩引いてたかなあ。ポップスに嫌悪していた時期だし。(笑)でも、渋谷系の裏番と言われたエルマロにははまりましたねえ。なんと言ってもライブが良かったんですよ。ツインドラムでブリブリの骨太ベーシスト佐藤研二、パーカッションにASA−CHANG、ギターやドラムにはハードコア系の人脈を配置して、ほんとぶっ飛んでいた。あれ以上の迫力というか、ダイナミクスのあるライブはないねえ。今のところ。(そんなアイゴンも、いまや木村カエラ仕切ったりしちゃて(笑))
海外からもライブ方法を研究にきていたらしいですが。渋谷系っていわれたのは、小山田圭吾を使ってアルバム作ったりしたからだと思うんだけど、その称号を否定するような流れにしていく感じがすごく合ったんだろうと思います。

渋谷系ってのもアッという間に資本に食い潰されて、次に仕掛けられたのが「新宿系」だよね。(笑)椎名林檎とかパラダイスガラージュとかさ。特に60年代の新宿を引用したりそういう喧噪な感じをイメージとして持ってきた。あれは渋谷系への反動だったと思うんだけど、それはそれで引いてた。(笑)当時新宿に住んで、新宿っていう文化をもの凄く独学していた時期だったので、表現が僕には分かりやす過ぎてね。その後もの凄かったもの。メディアの追随が。
スタジオボイスが「60年代新宿」を特集したり、映画館が大島渚とかATG映画を特集したりとか。あんまり情報のないうちから苦労して勉強してたから、ありがたかったってのもあるけど(笑)、でもなんだかなあ、と思ってたのは確かです。(そういうひねた感じが前々エントリー「25歳の黄昏」の文章にも出てるんですよ。)

70年代に西武が出来て、80年代は糸井重里とパルコで渋谷っていうのは文化の覇権を握ったんだと思うんだけど、当時は渋谷系渋谷系含めて、でも渋谷にみんな集ってきていた時代だったんじゃないですかね。それは渋谷がその後女子高生以下だけを集める「非文化の街」として衰退していく前の、最後の分裂症状だったんではないですか。

渋谷って、新宿みたいに複雑さを複雑さのまま受容する感じがなくて、それは東急や西武といった資本というものが先導して作った街が全面に出てしまったからだと思うんだけど、周辺地区(代官山とか自由が丘とかさ)、渋谷を中心に広がる区域って「渋谷っぽさ」から脱却できないでしょ。「下北沢」って渋谷と吉祥寺を結ぶ線上にあって、あれはうまくふたつの街のエッセンスを吸収しているって感じがある。(新宿と吉祥寺を結ぶ線上の高円寺ってのも同じようなもんだってのが持論)

まあ、面白いんですよ。そうやってどうでもいいようなことをマジマジと考えていくって。(笑)