純粋なことば

最近ずーっと「泥臭くて」「純粋」な言葉が並んでいます。このブログ。おそらく私の顔も名前も知らない人が読んでいる確率のほうが高いんだと思うんですけど(1回更新で述べ100人ぐらい?)素性を知りつつ、ここを見ている人も何人かいます。

その中のひとりの女の人に、この間ある本を渡されたんです。「お前の最近言ってることを凄く詳しく言っている本があるよ」って。それは「女は男のどこを見ているか」(岩月謙司)という新書の本なんです。

僕ね、例えば恋愛ハウツー本とかあるでしょ?モテる男の技術とかさ。まあ恋愛だけじゃないけど、ビジネス本とかでもさ。売上を100倍伸ばす、とかさ。そういう「テクニック」志向の本って全く見ないんです。この本も、たぶん本屋で見かけても、題名で却下、買わない部類だよね。

で、中身見てみるとね、まあアカデミシャンがちゃんと書いている本で宗教的でもなくてさ。(笑)まあ割と根源的なことが書いてある。確かに。要は「いい男」「いい女」「いい夫婦」「いい家族」ってのは何かって話でね。

それによるとね、「いい男」のキーワードは「愛」「智恵」「勇気」なんだそうです。でね、それは「英雄体験」を経てきた男だけが手に入れることが出来るものだと。で、そういう体験は映画「スタンドバイミー」を例としていて、いい「友」に恵まれないと出来ない、と。英雄体験ってのは、要は「人を命がけで救う」的なことだね。命がけってのは言い過ぎか。とにかく人を救ってあげるってことだと解釈した。
で、その体験で得た男の3原則を持っていることを男との触れ合いから見抜ける女が「いい女」で、それを大切にしあっていける夫婦、家庭こそ、真に幸せな家庭なのだ。超要約するとこういうことでした。まさに「純粋」「素朴」な言葉のオンパレード。(笑)

でもバカに出来ないんだな。これ。今となっては。(笑)

3原則をもうちょっと言うと、愛=人の幸せを願うこと、智恵=相手の素養や才能を見抜く力、勇気=人を呪い(過去の呪縛とか不自然な自我)から開放して救ってあげる力、だと言うのね。ほー、いいこと言ってる。(笑)

そういう体験を重ねたり、いい人との出会いを重ねたりしていくと人はどんどん「純粋」になっていくんだそうですが、それはよく分かる。特に社会的責任の重い(例えば社長業)とかね。真に社長、な人ってのはやっぱり純粋なのがわかるし。もう狂おしいほど純粋なんだよね。(笑)あれはいろいろなもの(ステークフォルダ)を守るという経験から来ていて、でも決して経済的成功とは一致しないのは悲しいことだけれども、でもそれでいいと思うな。要は自分に自信を持って生きているか、ということだから。かなりの人の不幸の上に成り立つ経済的成功ってのも今はいっぱいあるんだけれども(それはでもいつも不安なんだし)、僕はあんまり肯定したくないなって、これじゃ昔の左翼か。(笑)

それでじゃあ、僕は「愛」ってのを真理として見つけたつもりで、前回言ったように細野さんで承認してもらって(笑、勝手に)、じゃあ英雄体験って何かあったっけかなあ、とは思うけど、でも「いい友」はいるね。前回言った言葉でいう「盟友」ね。そいつらとたくさんいろいろ経験してきたかな。よくわからんな。引篭もりを外に出したとか、人を自殺から救ったとか、そういうことでもいいのかしら。逆にひどいこともたくさんしたんだけどさ。(笑)

でもね、最近ある人との出会いがあって、その人は若いけどもの凄く素質のある人(素直で素頭がいい)で、でも過去にいろいろ呪縛があって、そこからきっと開放されたがってた。(この反発力が人間力なんだと思う。普通それを見ないようにしたり、抑圧したりして諦めて生きていくから。それは素質だよね。)
幸せを手に入れるために、「いい男」とか「いい女」になるために、前を向くためにあらかじめそういう出会いがその人には用意されてたのかもしれないけど。逆に僕もかなりピンチの時期で、その人のおかげで救われて、自分が年取る度に「純粋」になっていることに気がついて(ブログの内容も青臭くなって(笑))なんかほんと「愛=人の幸せを願う」をあげたりもらったり、お互い智恵をもって相手を深く理解して、勇気をもって次に進もうとして。まさに3原則を絵に描いたような出会いでした。

たぶん人生、何度かこういう出会いってのはあって、僕はその前は若かりしころの今の奥さんとの出会いってことになるんだな。その後本当に苦労したけど。結婚にいたるまで(笑)
その本にも書いてあるけど、やっぱり「いい女」というのは鋭くて、男は常に見透かされている。だからそれを超える勇気を持って、素直に相手に立ち向かっていかないといけない。裸で勝負、というのはなかなか出来ないんだけど、特に武士道の女(前ログ参照)には、もう素手で勝負を挑むほかない、というのが僕の経験で、とても鍛えられた。もし年を取る度に純粋になっているとしたら、きっとそのプロセスのせいなんだと思う。ウソはつけないし、かっこもつけられない。でもそれは決して緊迫と不安の関係ではなくて、裸にならないといけないから、安心とリラックスを生む。それがいい関係なんだと、この本にも書いてあるね。ほほお。(笑)

そういう出会いから、また次の「生の展開」が待っている。その人にとって僕がもし安心とリラックスを生み出せているとしたら(僕はそうですけど)、きっかけや踏み台として、何かを掴んで、ものぐさしないで、苦しむかもしれないけど次の展開をちゃんとしてくれたらいいか。元気で生きてくれたらいいか、でもピンチだったり必要とされればいつでも守ろうとかいう感じで思ってますけど(これは節度が難しいんだけども。だって自分がピンチのときは呼び出すかもしれないし)、でもそういう人がまわりにいるって、やっぱり幸せなことなんだと思う。応援者は多ければ多いほど、人間は変化を恐れず前に進む。

今日は酔っ払ってませんよ。(笑)