25歳の黄昏

リクエストにお答えして25歳の時の文章アップです。怖いほどストイック。(笑)斜に構えすぎです。

「文章交換技術士」というコンテンツで、キーワードをもとに連作していくというものでした。それの第一回目の文章です。

原文ママ

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「お台場と三鷹団地」

20世紀はあと1年残されているが、90年代というのは終わりを告げた。
いろんな場所で、公私含めて90年代総括というものが行われている。
いきなり懐古かい、というつっこみはさておき。

前にやっていたホームページで展開されていた概念をまとめると
本来、人間の思考のインプットは「歴史感、現在感、未来感」。
その蓄積から何を出力していけるか。そこからがセンス。
そこに無自覚な人は駄目な人。
駄目は人は何をやっても駄目な人。
(もちろんラップで)
ということだったと思われる。

しばらくネットをやっていなかったが
相変わらず個人ページは
「いつ、どこで、何をした」ばかりのよう。
「こんなことした」「こんな人に会った」「こんな場所に行った」「こんなもの食った」
という、ライフスタイル自慢ばかり。
しかも、それによって刺激される脳の具合は
ほとんとレポートされない。
あたかも、その「私、個性的な情報とって動いてます!」が人生最大の価値であるかのような風潮は
情報に埋まって生きる現代人
もとい
90年代を高校生以下からスタートしたウチラ世代の性(サガ)か?
こわ。

高校生が渋谷に集まる理由がわかる?
住所を「世田谷」にしたくて東横線沿いに住みたがる女子大生の気持ちわかる?
台東あたりで廃棄ダンボールをかき集めて
お金に替えているルンペンたちの収入わかる?
子供の声がしない郊外の静かな団地群の風景に寒気を感じない?

東京とは、面白い場所だ、

「最近どうですか?」
「最近何聴いてます?」
「最近何読んでます?」
の入り口会話は出来るが
そこから会話が進展しない。
隅田川の花火大会がいつ開催されるかは知っているが
実際に行く気はまったくない。
それでも繋がる人間関係ツール、つまり連続的ネットワークツール。
その登場こそ90年代の事件だった。

90年代のキーワードは、なんといってもネットワークということになるだろう。
社会のバックグラウンドというものが、根本的に変わってしまった。
そう言っていいと思われる。
90年代は、そういう新社会への移行期である。
そういった意味で、80年代が「最後のパーティー」というのは
まさにその通り。
もっと言えば「近代性最後の」という頭がつくか。

自分の携帯電話鳴らないのさびしい?
メールこないのさびしい?
90年代が残した一番大きな価値はこれだ。

ふと街を見ると、マンガ喫茶にまぎれて
雀荘が新規オープンしているのに気がつく。
何故、今雀荘か?

何気なく連絡を取る。
寂しさを紛らわそう。
繋がる。
どっか行く?
行くとこない。
どうしよ。
あそこなら。

その先にカラオケやマンガ喫茶雀荘やビリヤードやゲーゼンや。
お手軽遊戯空間がもてはやされる時代風潮こそ、
ネットワーク時代準備期間である90年代の
その狭間的な不安定時代の
決定的産物であると思われる。

ネットワーク社会がもっと成熟してくれば
実際に会うという手続きは取らないかもしれない。
リアルタイムの映像通信が各家庭で実現すれば
無駄でアナログな行動(つまりお遊戯)は減るかもしれない。

そこにいつかはたどり着きたいと願う90年代には
すぐ目の前の半脅迫的で未成熟なネットワークへの依存により
人々は、今日も携帯電話やメールの存在に翻弄され
流れては消える目先の情報群に足元をすくわれてしまう。
前述した個人ページの行動報告の数々は
ここに起因する。

ブル中野が脅威的減量に成功した秘訣として
人間関係を一切絶つというようなことを言っていたが
まさにこれ。
人が何かをしようとするとき、
地に足をつけてなにかをしようとするとき、
じっと物事を凝視し、消化しなければいけないとき
これは必要条件であると思われる。
これが出来ないとき、
携帯の着信やブラウザのメールボックスの着信ありの合図を待ちわびて1日を終えて
しまうとき。
その寂しさに耐え切れず
用もないのに、仲間と一緒にお遊戯ばかりするとき。
その先にあるものを見落としながら、月日は過ぎていく。

徒然草]を現代風に言えば
何もすることがなく暇なので
友達とネットワークをつなぐ。
となる。

これは余談だけど
徒然草」というのは、その後栽培禁止になった
ダウナー系のドラッグみたいなもので
それでラリッた兼好殿が、あれを書いたという説もある。

そういう意味では、今の脅迫的なネットワーク網だって
充分ドラッギーだ。
ただ、その先がただの情報消費、ただのお遊戯でしかなければ。
歴史的に祭り上げられることさえない。

そこにあるもののウラを感じない?
そこにあるものの歴史を感じない?
そこにあるものの今を説明できる?
そこにあるものの先を予測できる?

2000年代は、どんな時代ですかね。

「渋谷」じゃなく「新宿」。
「世田谷」じゃなく「中野」。
「お台場」じゃなく「三鷹団地」。
なのだ。
簡単に言うと。
(次回に続く)

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またリクエストがあれば、載せたいと思います。