ヒゲのはえた女の子

「ヒゲのはえた女の子」別に2丁目のニューハーフのことではない。

以前から、男の子より女の子のほうが断然おもろい!ということをしつこく書いてきた気がするが、実はこっちが「男の子」ではないのではないか、という逆転の発想をしてみた。
みたいなことを女の子に言ってみたら「あんた、ヒゲのはえた女の子だもんね」とのたまわれた。おお!名言だ。「ヒゲのはえた女の子」。

最近の内田樹の発言に「これからはフェミニンな時代がくる」ということが書いてあった。昔フェミ男という人種がいたが(死語だなこれは)別に外見のことではない。「料理が出来る」とか「育児が得意」とか「人へのやわらかな優しさ」とかいう振る舞いとか心持ちのことを言っている。

男の子がつまらない、というのはもっと詳しくいうと「男の子が男の子としてどう振舞っていいかわからない姿が見苦しい」ということだと思う。教科書にはこう書いてあったし、あんまりクレバーじゃない親父やまわりの大人はこうしろと教えてくれたが、その通りに動いてもあんまり幸せじゃない。。という迷いが、男の子をつまらなくさせている。

ヒゲのはえた女の子は、自由だ。性別から自由だから、女の子からいろんなことをどんどん教わってしまう。自由だから、年上の男性からも年上の女性からも何でも教わってしまうし、一緒に楽しんでしまう。男の子は、男の子であることにこだわって、どんどん凝り固まってしまって、またどんどんつまらなくなっていく。

男とは何か?女とは何か?その基準がお国柄として決まったは明治時代である。それは国力を上げるため、他国との戦争に負けない国力をつけるために、「家族」という社会の最小集団にまで役人は手をのばし、「家父長制度」という「おイエ」制度を一斉に全国に広め、男とは父とは女とは母とは、と伝播した。(明治の役人ってのはえげつないが凄いんだ。)近代国家の始まりである。それがすぐにスタンダードとなり、近代の男と女が誕生したのだ。

しかし世の中うまく出来ている。明治政府誕生から100年弱、空前絶後の敗戦で「男の子」はたくさん死んでしまった。その後の日本を支えたのは残った母親と子供の「母性関係」だった。

「ヒゲの生えた女の子」または「フェミニンな男の子」は、性差からも年齢差からも何のステレオタイプ(典型)からも自由だ。
自由だ、というのは「プライド」がない、ということに等しい。いや、「つまんないプライドに縛られない」という「プライド」を持っている。(笑)
ちなみに僕のまわりにいる女の子はほとんど「スカートをはいた男の子」である。(笑)ヒゲのはえた女の子は、スカートをはいた男の子にすぐ負けを認める。(笑)プライドに縛られないから、認めるのもはやい。
認めて、学ぶ。吸収する。楽しくないはずがない。

なぜ「ヒゲのはえた女の子」「スカートをはいた男の子」は誕生したか、それは家父長を亡くし、経済的にも逼迫しながら社会を子供抱えて生きていかざるを得ない母親が、なりふりかまわず生きた。クレバーな母親は、これからの時代はこうだときっと子供に伝えたはずだ。それを聞いた子供は、つまんないプライドを持たずに、今感じる自由を選ぼうとがんばった。それが全共闘運動だったりもしたかもしれない。

でも社会集団(地域、企業、親戚)がまだその自由をあまり許容しない時代が続いたし、やっぱり社会的ステレオタイプな男と女のイメージで生きたほうが楽だし、だからあんまり今まで目立つことも無かった。

けど、今は違う。そういう社会集団は解体されてしまった。あるのはあらゆる壁を飛び越えて縦横無尽にかけまわれる自由と引き換えに背負うリスク。楽しいが苦しいという感覚。
「ひげのはえた女の子」「スカートをはいた男の子」であることは、リスク社会を生きるひとつのモデルであるかもしれない。