19XX的(阪神藤川の4連続奪三振にしびれる)

あまりにもやばい、と最近思ったのは、貴乃花の顔、ですよ。どっちが悪いだのなんだのということに興味ないんですけど、あの顔はちょっとやばいな、と思いましたね。兄に相当な怨念があるとしても、ありゃちょっと正視できません。ああいった閉鎖的空間(伝統芸能や国技といった業界の中)のは、ちょっと常識を越えたところにあるんですよね。だから、ちょっと前の和泉家しかり、カッコウの「ネタ」になっちゃいます。社会性、大切なことだと改めて思っちゃいますが。

最近読んだんですが、坪内祐三「1972」おもろでした。これは2000年ぐらいに「諸君!」で連載されていたもので、1972年の時代考察です。政治から経済、音楽、まで幅広いネタで、久しぶりにこういうのに会いました。

ケラ主宰劇団ナイロン100℃に「1979」っていう芝居がありましたねえ。岡崎京子のマンガを彷彿とさせるやつ。「1980」って映画も作ったか。どっちも観ましたけどね。ま、そりゃ人それぞれ(世代的)に思い入れのある年ってのはあるもんですが。全部の年、作品できちゃいますけどね。

昔深夜で「19XX」っていう番組が確かあって(フジだっけかなあ)その年を映像とヒット曲で振り返る、みたいなのあったような気がするんですけどね。好きでしたね。歴史の連続性に興味を持つ、というのはどういうことなんでしょうね。僕はテレビに映る昔の事件の映像とか、街の映像とか「なんとなく」好きでそれが何だったのかと本を漁った。いろいろ興味のまま漁って深部に触っていくと、そこに関連性、連続性が生まれてきて、それで現在(イマ)を感じることができ、未来を想像(創造)できるようになる、という原理にようやく辿り着く。

その時期が小学生なのか中学生なのか20歳超えてからなのか、50になってからか、そりゃ人の資質や運てなもんでしょうけどねえ。年号を暗記せよ、なんていう教育に埋もれてたら、そこの原理いくまで時間かかっちゃうし、例えば「歴史」っていう言葉に拒否反応が出ちゃう子供って多いんだろうと思うんですよ。でもこれを学校教育の問題にしちゃいけない。だって先生だって歴史を連続的に捉えている人、少ないんですから。詰め込んで先生になれた人もいっぱいいるわけですから。

この坪内の本は、今の若い人の、特に自分が生まれる前の出来事、歴史にうとすぎて、歴史的断絶をうむということに危機感をいだいたのが動機とか。(といって諸君!は歴史的断絶を問題視しない若い人が読むとはとても思えないんですけど)例えば「3億円事件」というと竹やぶの中からお金が出てきたっていうことを指すと、高校生ならまだしも偏差値高めの大学生も勘違いしているとかそういう例が出るわけですけどね。

それでも、自分の追及するジャンルに対しての歴史認識にはもの凄く詳しかったりするじゃないですか。「横」とか「奥」へのつながりを欠いているだけで。なんか、それはそれで仕方ないというか。つまり、そういう包括的な知がどうのとか言ってますけど、万人にそんなこと可能なのか?ということは考えちゃいます。イエやムラのことを考えていれば良かった時代は忘れて、ね。(まあ、日本自体がムラ的だと(つまり外的視点がない)いう揶揄もありますけど)

この「1972」は、そういう問題意識もこめて、決してひとつのジャンルに収まらないような工夫が随所に出ます。佐藤栄作連合赤軍、ぴあ創刊、日本のロック文化の夜明け、とかね。政治経済文化、あらゆる角度からひとつのテーマを煮詰めようという形になっているわけですが(章分けもしていない)、おそらく同時代に生きてない人(つまり若い人)には難解な本でしょうね。私も産まれてませんけどね。どの知識も浅く広く予め持ってないと、文脈として理解できない構造になってますから。その「知」を前提にする場合、やっぱり連続性、関連性を掴んでいないといけなくなるので、無理が出てきます。そうなると結局同時代人の「おやじ」のレトロ感覚に閉じちゃう。

最近公私問わず、特に20代中盤ぐらいの人々から相談を受けると、その猛烈な「焦り」を感じます。足元を見失っている。それは中途と新卒、これだけの生涯賃金格差が!とか、フリーターやニートを過剰に問題視(煽り)するマスコミの論調や、いろいろとあるんでしょうがとくかく焦っている、という印象です。

この本を読んで、「永田洋子って誰?」「連合赤軍って何が連合したの?」「はっぴいえんどって何?」「頭脳警察ってどんな音楽?」ここで焦らずひとつひとつ別の文献にあたりながら調べて、本を通読する余裕も時間も、20代(そして僕らだって)ない人のほうが圧倒的に多い。それは現実ではないでしょうか。携帯は鳴るし、マンガ喫茶で一話完結読んだほうが楽だし。(誰だか曰く、最近はマンガも通して読めない学生がいるとか)

ここは焦るな、視界が開けるまで、地道にひとつづつ積み重ねていけ、と僕は言う訳ですが、見失ったまま30代40代を迎えてしまうのは、とても悲しい現実だけが待っているでしょ。だってこれだけ騒いでいるわけですから。格差だ何だって。

これだけ細分化した情報が雨のように降る世の中で、そこから自分なりの関係性、連続性を自ら発見し、それを地盤として生きていけるような教育ってどうやったら出来るんでしょうかね。

そいつらの「そこはかとない」不安が見えて暗澹とします。本は途中で閉じればいいけど、人生は途中で閉じるわけにいかないじゃないですか。

今日は西武ドーム阪神戦観戦、これ以上ない勝利で六甲おろしを所沢で鳴らしてきましたが、話題は暗すぎる。(笑)今度阪神論書こう。