タフな知

音楽系の話題が続いてしまいました。偏りはよくないです。

さて、先日例のごとく孫を見せに定期帰省したのですが、日曜の朝テレビをつけると宮崎哲弥が出ています。すると団塊世代のうちのお袋が「この人いいわよねえ」と言うわけです。もう少し突っ込んでみると、TBSラジオ「アクセス」の月曜日(田中康夫)火曜日(宮崎哲弥)は必ず聞くというではありませんか。更に詳しく聞くと、同じくTBSラジオ「デイキャッチ」の宮台真司の回も欠かさず聞く、とか。奥さんと二人、顔を見合わせて驚いた次第です。彼らのジャブ啓蒙は、おばさん世代を確実に捉えているのか。(笑)

理由は「ニュースの裏側がわかりやすい」というものです。昔学生時代、同じように実家でお袋と話していると「ナンシー関が好きだ」と言うのでびっくりした記憶があるのですが(持っている本全てプレゼントしました)原理としては同じですよね。自分がテレビや新聞から受動する情報を、違った角度から、より掘り下げた状態で、知的に分かりやすく伝えてくれる人を「面白い」という感覚で、「テレビ及び芸能人ネタ」が「政治経済ネタ」に変わっただけの話なんです。つまり、「政治経済」が劇場化(テレビ化)しちゃっているということの表れでもあるわけですけどね。ワイドショー感覚で政治経済を見る、という形。

お袋はそんなリベラリズムを多大に感受している割に言ってることはコンサバなわけですが(笑)、テレビやラジオに出演するねらいをちゃんと持っている人の露出メリットは、予想以上に大きいですね。

文体、ということを考えたときに、それを読む側は書いた人の声を頭で想定しておいてその声で頭の中で「音読する」という理屈があります。(谷崎潤一郎文章読本」)声が想定できる場合、「読みやすさ」が格段に違ってくる。対談やインタビュー起こしといった文章が読みやすいのは口語調だからという理由と、声を想定しやすい(露出の高い)人物がしゃべる、という両面があるわけです。

だから、本を出版して生業とするような職業の人は、メディアの発達の中で、本を読みやすくする、という意味でもメディアに露出することはメリットがあるんですよ。読みやすい本しか読みたくないという人に顔や「声」を売る必要があるのか、という人は出なくていいわけですけど、こと啓蒙活動を目論むような人達は、どんどん出たほうがいいわけです。ほとんどの人は、思想うんぬんなど、どうでも良かったりしますから。人よりちょっと違った見方、違った情報が入ってくればそれでうれしい、みたいな人のほうが圧倒的に多いわけなんですよ。そういう人を操作していくには、やはりラジオテレビというのは恐ろしい武器です。
でも細分化してますから、それが戦前のファシズムみたいに行くことはないんですけどね。

変革期に必要とされる啓蒙家、例えば福沢諭吉とか丸山真男とか(谷崎が書く「文章読本」も民主主義推進という同じような文脈で書かれたものでしょうけど)時の利を生かして歴史に名を刻むわけですが、今この変動の時代にそういった啓蒙家に誰かなれるんでしょうかねえ。時の利はまさに今だと思うんで、言論界、思想界(といっても論壇、文壇を基本的に縛られてない人々ね)はここの所ずっと面白いですもんね。生活を放棄しないと、とても全て追いきれないわけなんですけど。(笑)

最近内田樹宮崎哲弥に処女作で批判したことをブログで詫びを入れていて、実生活でもニアミスなんかがあるらしいんですけど、一回対談でもしてくれないかなあと思ってますよ。どうせなら「アクセス」あたりにゲストで出て欲しい。時を代表する啓蒙家になれる部類の、今ノッている人達ですもんねえ。批判もよく耳にしますけど、批判が多いってことはそれだけ注目されているということの裏返しですから。僕はねえ、面白い知性だと思うんですよ。二人とも。

変動の時代には、動体視力、つまり動いているものを的確に捉える力が必要なんだと思うんですが、おふくろが好きだと語った諸氏にはそれが存分にある。だから面白いんです。

批判を見ると、二元論(良いか悪いか)が多くて、良いというのも手放しに良い、だし、悪いというのも全否定だし、この前も書きましたけどうんざりしますね。特に悪い、の部類では悪しき啓蒙だ、みたいなこと言ってるのがあるんですけど、笑っちゃいます。この情報の細分化の時代に有識者個人の発言がどれほどの啓蒙になりうるのか。時代錯誤もいいところです。

過去言ったことがどうだとか今言ってることがどうだとか、動体視力で持ってモノを捉える以上、伝えられる側も字面ではなく、そこに見える姿勢、潮流を見極めなければいけないんです。前のブログにも書きましたけど、変化しているモノを捉えるのにはスピードが必要で、政治みたいに細かいところを突っつきあって時間を浪費している暇はないわけです。(いくら民主主義政治と言ってもちょっと仕組みが耐久年数限度かなあ)変化してるモノを捉えて本質だけを抜き取る。多くの人はそれは出来ないので批判したり拒否したりするんです。でもそれが今の知性の現実なんじゃないですか。

あまりの時代のスピード化に、システムがついていけないで崩壊する、僕はそれはありえると思っているし、かといってこのスピードは誰も落とせない。だから今は動体視力のある人(現代知性)を盛り上げたほうが、社会としては生き残れる確率が高くなると思います。
だから僕は次の可能性として、ジャンルは関係なく、そういった動体視力の優れた方々がリンクしたらいいと思うんです。情報が束となったときの運動を見たいし、束になっていく過程をリアルタイムで見ていく、というのは面白いんですよ。(前回の才能のあるミュージシャン集結の場合も同じで)この際細かいイデオロギー(ジャンル)の差異はいいんです。何か前向きに産みだすという点において、面白いタッグがいっぱい出来ればいい。勿論面白い対戦もいっぱいあっていい。

「大筋合意」何故これができないんでしょう。

昔の「資本主義と社会主義」とか、そういう単純化議論はいっぱいあったわけで、それを中和して新しいものを作り出していく知性(福沢とか丸山しかり)ってのは、多くの人に反復されないんですよね。悲しいかな。動いているものから本質だけをズバっと掴むというのは訓練ではどうしようもない部分もあるんでしょうけど、知識、経験(特に失敗、挫折)、体力、人生のタフさが必要ですよね。

面白い、と思う諸氏の共通のものとすれば、タフさ、その一点につきるのかもしれません。知のタフさ、ですよ。後の細かい差異は後から埋めていきゃいい。そう思いながら、いろいろ見てますがいかがでしょうか。