車、ギャンブル、スポーツ、ラフトレード

職場での3大立ち話、世間話というと何でしょうねえ。「車」「ギャンブル」「スポーツ」っていうことになるんですかね。昔から政治宗教はご法度、みたいなこと言われますけど、海外ならまだしも、日本で宗教の話がご法度というのも、なんか妙な気がします。安直な輸入ものって感じですよね。宗教の違いから殺し合いに発展する素養は日本にはないわけですしね。

政治ってのも、単に皆さん興味がない(分からない)というほうが多かったりしますからね。そういう意味では「ご法度」かもしれませんね。(笑)

わたしは社会人になって、この3大話がついていけなくて(つまらないという意味も含めて)社会人向いてねーなーと思ったんですけどね。今はだいぶ慣れましたけども、今でも大人数での会話ってのは好きじゃないですね。

さて、最近偶然見つけたCDで「ラフトレード」というUKのレコード屋のコンピレーション(エレクトロニック編)を買いました。2枚組。いい選曲でしたね。僕はもの凄く信頼できるお店でした。ラフトレード

70年代後半から2000年初頭までの裏エレクトロニックミュージックシーンを押さえたものですが、70年代のクラフトワーク、ブライアンイーノあたりから80年代、90年代、2000年代の数々のミュージシャンと年代別ではなくざっと並べてあるんですけど、全然時代性の違和がないんですよね。選曲がうまいから、ですね。エディット感覚に優れているというのは、今の時代重要な能力ですが、凄いね。さすがです。これは。

今は原宿にあるんですけど、昔西新宿にラフトレの店はあったんですよね。雑居ビル二階。ドア向かいにVINYLがあって。店員はキャイーンの天野君みたいな顔でしたけどねえ。
かけているレコードとかいちいち良かったよなあ、という印象があります。

僕の場合は90年代前中期、渋谷の宇田川町をまわって、西新宿界隈を冷やかして、吉祥寺に寄って帰るというのがレコード買いのフルコースでした。したがって、大型輸入盤店に行く前にお金が底をつくという状態で、タワーレコードといえばハードロック、HMVだとおしゃれポップ系、みたいな(笑)固定概念(偏見)が遅くまでありましたよね。(色のイメ−ジもあったでしょうね)

97年あたりから、宇田川町も西新宿も、ちょっと広がりすぎて、全体視できなくなっちゃって面白くなくなっちゃったと思うんですが(それはインターネットが急速に拡大していくのと時代を共にしてますけどね。結果的に。宇田川町は破綻しましたけど)、今の若者はどうなんでしょうね。私はすっかり偏見もなくなり、包括的に網羅できる大型輸入盤屋体質になっちゃいましたけど。

そんな大型店も、昨今のネット音楽技術革新のおかけで、経営が大変だそうです。お客さん居ませんもんね。うちらみたいなそうそうネットなんぞに音源落ちてないぞっていうものを買う人には大問題なんです。

まあアマゾンがあるからいいか、とはいかないわけですよ。本屋もレコード屋も。お店での偶発な出会いや、センスのよい店員のポップをだまされたと思って買ったり(それが最高だったり)、そういった偶発の出会い、楽しみがなくなってしまう、というのは、半分生かされて半分殺されるという感じですよ。「拡散」系の人間には、とてもつらい状態になってしまいます。(だから資本がそういう「余裕」部分にまわる構造がやっぱり欲しいね。前ログにも書きましたけど)

このコンピ、並んだ曲を見てて思ったのですが、80年代後半、90年代後半、という時代が無いんですよ。面白いことに。確かに、例えば80年代を生きた人、とかに話を聞くと代表的なのは前半に片寄るし、僕ら90年代ッ子だって似たようなもんで、後半は混沌としすぎちゃって(それはレコード屋が乱立しちゃったのと同じで)全体的に語りようがないという部分はありますよね。

ラフトレ−ドのナイスな選曲屋のおにーちゃんも(外人だけど)、同じような時代認識、時代感覚を持ってんのかなあ、と勝手に思ったりしてニヤっとしたりしますが。2000年代も中盤に来ましたけど、果たして「空白の5年」がまた来ちゃうのでしょうか。