ニッポンメロウグルーブの系譜

最近ふと思い立って、あまり聴かないCD棚から一枚ずつ抜いて通勤中聴くのですが(ちなみに音楽聴きながら本読める人なんです。これが。基本的に歌詞聞かないので)。

一時期、通勤中(特に朝)にアンビエントハウスは聴けない、というような話を身内でしていて、やはり戦闘モードに入れる音楽(つまり物語(展開)が大げさという意味だけど)、が通勤には合う、というような結論になっていたのですけど、もはや責任範囲が大きくなると通勤でさえ癒されたい(笑)という感じで、何でも聴けるようになってきちゃいました。

で、普段聴かない棚というとまず国産系がずらっと並ぶわけですが、そこで通勤中の癒し材として日本のメロウグルーヴ、70年代の吉田美奈子「恋は流星」、90年代前半のオリジナルラブの「接吻」、2000年付近のBIRD「オアシス」、あと初期のUAなんかもそうかな(関西ブルースの系譜)、なんかが機能します。(笑)

恋は流星、いいですよ。コード進行は「接吻」とほぼ同じ。(日本の歌謡ではこの2つしかない進行みたいですけど)うちには2バージョンあって、明らかにディスコうけを狙った(山下達郎の「ボンバー」に触発されて?)ものと、ミディアムテンポの通常版があるんだけどどちらもいい。

細野とポンタという日本最強のリズム隊による山下達郎の名曲「LOVE SPACE」も似たような進行をしますが、とにかく作り出す空気感がいい。

あれは、あの時代の(ニューヨークの=時代の)空気だったんだと誰かが回想してましたね。

70年代の、僕らの親ぐらいの年の団塊世代のミュージシャン賛辞っていう偏りを見て取る人もいるかもしれませんが、フロンティアの「壁を突き壊す」パワーが作った面白さというのは確実にあるんですよ。聴いていると。数の多さ故の切磋琢磨があって、音楽もマニアックにアカデミックに追求されていく(それがポップフィールドの還元される)プロセスが見えるしね。

ただ、80年代以降若さで培った土壌に勢いの衰え(年齢的にね)と共に居座った。後発の世代の可能性を駆逐した、というのは確実にあるわけじゃない。それは政治経済の分野でも同じようなことだけどね。それはそれとして、やっぱり70年代は面白かったと思いますよ。プロセスを見る、という意味においてね。
80年代はプロセスの延長として歌謡曲(特にアイドル)が面白いし、既成のシーンでは団塊が居座って離れないことを悟った若者はストリートに出て、80年代中盤以降のシーンが出てくるわけですけどね。90年以降はプロセスではないよな。でもなんか、また集まるところに才能が集まる、みたいな(70年代前半的)な感じになってるような気がするんだがどうでしょうか。(これは勿論メジャーシーンではないけどね)その橋渡しを70年代の核(細野さんとか矢野顕子とか)が媒介として存在してるような。

みたいなことをこの間レイハラカミ絶賛のログで書きたかったのですけど、ここ5年の日本のおもろ音楽家として抜けてる人がいましたな。青柳拓次(リトルクリチャーズ)。才能が才能を呼んで面白いことが次々起きてくるような形に(つまりプロセスを楽しめる)なるんであれば、またおもろ。きっと団塊世代の「枯れ」で新しい土壌が必要になってるかもしれない。