子育て日記(写真入り)と個人情報保護法

この間新聞で見たのですけど、ブロガ−と呼ばれる人がウン百万人っているみたいですね。。勿論全部なんて見れませんから、キーワードとかトラックバックとかいってたどるんでしょうけど、何か生み出すことになるんでしょうかね。

ここは、数人の身内との情報交換と私的記録メモ的意味合いで(タダだし)書いてます。95年ぐらいから実はHPを開設して文章力の訓練と日々の情報収集を自己義務化、意識化するために数年やったんですけど、その時は完全に外部向け、でした。述べ5万人を超える人が来て、それが縁で友人になった人もいるし、批判も浴びたし、いろいろありましたけどおもろかったですよ。その数年の行動が今の基盤になっていることも事実ですし。ちょうどネットも初期だったのでサーファーも面白い人(先鋭的な人)が多かったしね。(ダメなやつも多かったけど、初期微動としては仕方ないという感じ)

ブロクサーフィンのとっかかりは、有名人ブログ、でしょ。特に文化人が書くものなんかは見ていてエンターテイメントをわきまえてるし楽しい。公共性を無意識に持っているからでしょうかね。インターネットの安易な「私」語りは危険だなという話がよくありますが、公共性を獲得するのに苦労してきた人が書く文章というのは、やっぱり全然質が違う。当たり前だけど。HPやってる頃出来た友人も、元々フリーペーパー媒体をやってた人だったり、その後ライターになったり、やっぱりきちんと公共性というのを意識してやっている人がほとんど、でしたしね。

で話はブログに戻って、トラックバックがウザいなあと思うんですよ。ブログの利点機能としてあるのだろうけど、有名人に限ってはあれは止めたほうがいいね。言葉ジリのあげあしをとってさ。まあ、影響力のある立場の人があんまり軽軽しいこと言っちゃいけないというのは、いくらブログという手軽な媒体とはいえあるんだろうけど、あれは目障り、ですよ。

理路がおかしいとか危険思想だとか、影響力のある人のそれに対していろいろ言う人がいてね。昔から仮想敵を作らないと動けない人ってのはいるんだけれども。(過去HPで経験アリ)でも手軽なメディアだというのはちゃんと勘定に入れておかないといけませんよね。あくまでコミュニケーションのとっかかりであって、やっぱり共感も反論も、なんでもいいんですけど、本当に危険だとか間違ったことだと思ったことはちゃんと3次元感覚で主張しないとだめですよ。(そんなこと出来ないから2次元で威厳を振るうか。)

要はね、立場とか影響とか、そういうものがある人に一矢報いた自分、というのに酔ってる内容がほとんど。気になる人への反感的アプローチ?売名?まあ、ちゃんとした文章書いてる人が多いけどもね。Aに対してBということは割と簡単だし、人の批判してる前にやることいっぱいあんでしょ、と言いたくなる人は二次元に限らず多い。(リーマンの居酒屋愚痴、的)いろいろ言いたいが言ったことの責任はとりたくないというさ。ま、見なきゃいいんですけども。

二次元での反体制行動というのの厳しさは、まとまって活動運動体にならないんですよね。(海外ではブログによって社会的地位や立場を失う人も出てきているみたいだけど、稀でしょ)

影響力のある人は君子たれという幻想ってあると思うんですよね。細部に渡って曖昧なこと、間違ったこと言うなと。会社でも、社長や役員は君子で、判断は間違うはずがないという思考でいくからおかしくなる。みんな人間じゃんね。(笑)

強度のネットワーク社会では、情報の取捨選択能力とストック数が人生の明暗を分けるというような話が(粉川哲夫、かっこいい)あるけど、こいつの言ってることおかしい、攻撃!というのを繰り返しながら時間を浪費する。その攻撃対象についてはリテラシーの態度があったとしても、その反論の相対化がなされない(議論されない=何も生み出さない)ことが分かっているであれば、酔っているとしか言いようがない。時間の浪費という意味で、結果的にその情報に踊らされているのと何ら変わらない。

僕は本当に反論したいのであればまずは自筆で手紙を書くねえ。返事は返ってこなくても、アクションとしてはそれしかないよね。使命感とかってそういうことをするのであればよ。手軽なものって。人の心はそう簡単に動かせるものじゃないっていう基本を忘れさせて、「手をかける」という行動基本を忘却させるんだよね。

そういうブログ見てると、昔立花隆の「東大生はバカになったか」に対抗して現役東大生が、その中の文章ひとつひとつに対して反論、指摘、立花隆のバカを暴く、みたいな本があったけど、あれに似た徒労感があるな。勿論、立花隆は相手にもしなかったんでしょ。それは「学生だから(立場的)」ではなく「そういう行為がバカ(無意味性)」なのが理由であって、結局「東大生はバカだ」ということを証明する本になってしまった、というオチになりますかね。その本、反論の内容の是非は置いておいて、相手に対しての礼儀とか配慮とか、そういうものがないってのが、まずバカの象徴、であるわけですよ。
そういう奴が役人になるんでは、やっぱり日本の未来は暗いよなあ。