真鍋ちえみヤバめ

先日友人から「イエローマジック歌謡曲」を借りて聞いています。こういう企画もので聞き入ったのは、筒美京平ボックス以来で、あれも確かCD6枚組ぐらいだったと思うけど全然飽きなかった記憶があります。「歌謡曲」なのにエクスペリメンタル(実験的)で、それを時系列で聞けるので、その時代性も含めてもの凄く面白かったですね。

今回のは、80年代の短い期間、特にB級アイドル歌謡の遊びっぷりはとても楽しいのですが、その3枚の中で「これは知らなかったなあ」というのが竹中直人の「ファンキーマージャン(82年)」ですね。

まだ「笑いながら怒る人」とかそういうのの前なので無名時代でしょうけど、解説を読むと、原宿の「ピテカントロプス」周辺人脈によって盛り上がって作っちゃったものらしいです。「ピテカン」はスネークマンショー桑原茂一が作った80年代前半カルチャーにおける「サロン」的なもので、ミュージシャンだけでなく、様々なアーティストが集った場所として有名ですよね。六本木野獣会における「キャンティ」みたいなもんです(古いか)。
ちょっと前に古本屋で買ったピチカートⅤの野宮嬢のエッセイにも出てきます。

「サロン」って世代的に馴染まないでしょ。90年代を語る上で重要とされる「閉じた場」ってないよなあ。クラブだって散々あったしね。輸入レコード屋だって散々あったしね。Tシャツのロゴと一緒ですよ。(笑)僕ら世代は選択消費の申し子だなあと改めて思いますね。

人が人を呼んでコミュニティーが出来る、というのは、自然発生的だと思われがちだけど、必ずキーマンがいますよね。つまりあらゆる異才に寛容な、人間関係作りのプロ。
 私も知る、ビジネスの世界でも「ヒューマンハーバー」という構想を作ったおじいさんがいるのですけれど(名刺の肩書きは「メディエーター=人間接着業」と書いてあります。)、大切な考えだと思いますね。

日本は学歴社会だとかいって、学歴が何故いいかというと「学閥」があるからですよね。これは持っていると非常に強い。これほど階層化が薄れたといっても、出自の家が持つ人脈、学閥といったものがあるとないとでは、ハンデが違います。

誰が言っていたか忘れましたけど、例えば同じ東大に入った人でも、学生の頃勉強しかしてこないような地方のガリ勉知識君と、幼少の頃から一流のモノや人に触れて自然と育った知性人とでは、特に20過ぎて専門分野に入っていくあたりから絶望的な「差」が出てくるというのを聞いたことありますよね。「絶望的」つまり、絶対埋まらない差、これは仕方ないですよね。それは認めてしまったほうがいいと思いますよね。埋まらないハンデを羨んだり妬んだりしても仕方ないので、そんな暇があるのであれば、今の自分の手持ち資産で何がどこまで出来るかを考えたほうが、よっぽどいいと思います。

ヒューマンハーバー、「マザーシップ」とも繋がる言葉ですけど、いい言葉ですよね。誰にでも出来るものではありませんけど、いろいろなモノや人を自分で受け入れて、接着していく能力というのは、これからを生き抜く条件のひとつとなるような気がします。