コネとカネの前近代、カネやんとバレンタインとロッテ 

最近身内に不幸があり、奥さん子どもと田舎に帰っていたんです。田舎といっても関東圏ですけどね。身内に不幸があったわけですから、「ただの帰省」とは違っていろいろな人間模様がそこに起こるわけですが、そこで非常に再認識してしまったことがありました。

私の奥さんというのは東京の人間で、しかも武士道の人ですから、「個」として修練を積んできた存在です。いわゆる「近代的市民」というやつですよね。私自身も親父の変わり者のおかげで、田舎育ちの割に、そういう教育と自己修練を積んできたつもりです。だから結婚できたんでしょうかね。緊張感のある関係ですが、同志的な関係です。

田舎に帰って、様々な人間との関わり合いの中で、私と奥さんが気づいてしまったのは「前近代的(つまり地縁共同体的)な土壌への明確な違和」でした。今までは漠然と「面倒臭い」とか「うっとおしい」とか言って避け気味だったことがくっきりとなんであったか分かったということです。

近代と前近代というのは、田舎と都会、という違いだけではないです。田舎でも「近代市民」として自立せえと教育されてきて自分で実践されている人もいますし、逆に都会でも個として自立しようとしない輩は多く存在します。要は確率の問題です。

東京近郊の、関係性の薄い地域で生活していると、自分たちの生活だけに埋没してしまっていて気づきませんが、明らかにそれより多くの人が「前近代的」な昔からの家族、親戚、ムラといった枠の中で、寄り添い助け合いながら生活している、という現実をずっと忘れていたように思ったのです。(前ログでの結婚75万組中、出来ちゃった婚16万組、というのの驚きも、これを踏まえれば驚きではなかったはずでした)

うちの奥さんの実家の先祖をたどるとクリスチャンの家系なんです。キリスト教は「個」を基盤にしますから教育にはもの凄く厳しいんです。割礼から始まってね。日本は、「個」を重んじて「個」を大切にする教育を大事にしたがってますけど、西欧におけるキリスト教的な基盤を日本は持ち合わせていないのがうまくいかない要因だという話はよくあります。
うちの奥さんは、親が直接クリスチャンではないにせよ、キリスト教的な土壌の中で(しかも共同体性をあまり意識できない東京の新興住宅街という土壌で)育ったので、田舎の「前近代」というのは「違和」があって「個と個のコミュニケーションとしては物足りない」ものになるのは当然なんですよね。ここでいう「違和」とはそのことです。

これですね、「近代的」と「前近代的」どっちがいい悪い、というのではないんですよ。時流というか、資本主義が煮詰まると「近代」の素養を持った人に恩恵が行くのは仕方のない流れなんですが、田舎で個人としての成熟は求めずに皆で助け合って(贈与しあって)生きていくというのもそれはそれで幸せそうなんですよ。ただ、森永卓郎の「年収300万円時代」じゃありませんけど、「近代」市民に利権が流れる構造は、「前近代者」の生活を確実に駆逐していますし、それを目の当たりにしました。

職場でも、会社でも、いろんな場所に「前近代」はありますし、これだけ近代的「個」の社会需要ばかりが増えると、逆に例えば「ニート」や「フリーター」「引きこもり」「集団自殺」といった形で、日本の前近代者(もしくは近代化に失敗した者)がクローズアップされてしまう。

そういうことが理屈として整理できると、なんとなく避けたり、無視したりという形から、無理なく付き合っていく方法を見つける、そういう前向きな姿勢に転化できます。
都心に戻る車の中で奥さんとそうまとまった次第でした。

ここまで書いてきてなんですが、優しくて人懐っこくて、お人よしで、そんな僕の田舎の人々、大好きです。だから、社会の流れを考えると、ただ本当に普通に生活しているだけで状況がどんどん悪くなっていってしまう(であろう)僕らが慕う人々に対し僕と奥さんの役目は、これから窮地に追い込まれていくかもしれない場面で、一緒に考え、知恵を出して、あらゆる方法を提示できる、ということですよね。何だか地元の期待を背負った政治家みたいな(笑)話になってきたけど、決して偽善でも傲慢でもなく、知恵のあるものが知恵を出すというだけの、そういうお話です。

これは、前ログの「エリート私立」と「その他公立」に2極化する環境の中で子どもをどう育て、まわりとどう付き合っていくか、というお話も同じ原理ではないでしょうかね。人を好きになる、というのは、そういう前置き、前提条件の理解をクリアしてから、ですからね。人付き合いはやっぱり知性が必要です。

そういえば、電気GROOVE×スチャダラパーの「TWILIGHT」買いました。予想を超えて良かったです。明らかに石野卓球がイニシアチブを取っている音ですけど、なんか音楽とか自分がやってきたこと、今やっていること、への「真摯さ」が伝わってくる、すがすがしい曲でした。
公式ページに書いてある馴れ初めで「じゃあ自己紹介をラップで」というのを両方が経験しているというくだり、おもろでした。