関西フォークとラブホテル

先日ポール牧が亡くなったそうですが、実は16日に高田渡も亡くなりました。56歳だそうです。関西フォークの先頭を走り、今でもメジャーで活躍していた(この間映画にもなりましたよね)だけに、「本物」がまた一人いなくなったという感じです。

フォークというと南こうせつとかさだまさしとか「演歌フォーク」を思い浮かべる人が多いけど、70年代、特に関西の高田渡とか友部正人とか、いい音楽やっていたと思います。
何度も出てくるけど(笑)細野さんとも関わりは深く、編曲、演奏、プロデュースなどで一緒に作品作ったりしているし、特にテーマ、言葉の使い方、のせ方などでの影響は強いと自身語っていたと記憶しています。

関東のフォークというと「なぎら健壱」かな。(笑)中津川フォークジャンボリーの音源聞くと面白いんだけど、正統派フォークとはっぴいえんど周辺ロック系があって、そこになぎら健壱的パロディ路線がある、という配置のセンス(選曲者賛辞!)。それはその後所ジョージとかに引き継がれていくパロディ路線って、芸術の分野でも60年代に出たてぐらいのモードだったのに(そもそもそれが芸術か、といった議論も含め)、なぎらは正統派の曲を歌詞だけ変えて(茶化して、当時言うところのナンセンス!)観客を盛り上げています。あとエンケンの「カレーライス」もいいですね。

関西出身の佐藤博というニューオリンズ系のピアノ弾きで細野さんに見出され、「あ・うん」で仕事ができる関係として70年代に音楽シーンに貢献した人物がいるのだけど、この人と細野さんの対談で「リズム考」として一部で語り継がれるであろうおもろい話があるんです。
それは「関西」と「関東」でリズムの質が違う、ということで、関西は後ノリの粘りのあるリズム、関東はジャストタイムの淡白なリズムだ、という持論を展開しています。なるほどなあ、と思いました。
例えば吉田美奈子の「フラッパー」というアルバムがあるんだけど、ティンパンアレー人脈(細野晴臣林立夫鈴木茂矢野顕子)で演奏する曲と関西軍団(村上ポンタ秀一佐藤博高水健司松木恒秀)、聞くと全然違うので、よく分かる話です。

関西は「ブルース」が下地にあるでしょ。分かりやすいところで上田正樹とかね。実際聞いてないんだけど、関西の若いバンドの音なんかでブルース色の強い人達がまた出てきているらしいし。
私的にはいい演奏家であればどちらも好きであるけれども、当時はそのアルバムの吉田美奈子しかり山下達郎しかりユーミンしかり、曲のイメージによって使い分けていたみたいで、関東の淡白さはYMO的な流れに向かっていくし、関西のドロ臭さは時代と共に受け入れられなくなって、「関西シーン」としては独立できない感じになっていったんじゃないかなと推測します。
そのあたりは経済事情と一緒で80年代の「東京一極集中」だったという感じですよね。

だから90年代のテクノの攻勢時の田中フミヤの大阪発の「とれまレコード」の出現ってのは、凄いインパクトがあったし(福岡にもありましたね)、他にも京都で竹村延和が出てきたり。彼らは決して東京に拠点を移すようなことはしないし、もともとテクノっていうのが「国」じゃなくて「都市」に密着した音楽だったから、そういう部分にも当時可能性見出していたような気がします。インディーズにこだわったり、地元の土地にこだわったり、今は違和感ないんだけど、こういう歴史の繰り返しがあって、のことなんだと改めて感じますよね。

話を戻して、日常を淡々と歌う高田渡とか西岡恭蔵とか、どちらもお亡くなりになりましたけど、こういうのって後をたどる人はもう出てこないでしょうね。フォークというとメッセージ性とか叙情性ばかりがクローズアップされますけど(高田渡も「自衛隊に入ろう」ばっかり持ち上げられたりしたしね)、こういうのもなくなっちゃうと寂しいなあと思います。

高田渡の「自転車に乗って」とか西岡恭蔵の「ぷかぷか」とか、ラブホテルの有線でフォークに合わせたりするとかかったりしていたりして、一番合わないシチュエーションだろうと昔思った記憶がありますけどね。こういう牧歌的なのって、時代のスピードにそぐわないのかもしれませんね。