週刊誌少年

先週木曜日に仕事で帰れなかったのですが(その前の火曜日もお客さんと飲んでて帰ってない。。)、一睡もせずに金曜日働いて、19時に地下鉄に乗って、寝たら寝過ごすなとおもって売店で雑誌を買おうと思って売店にいくと、うーむ、読みたい雑誌がない。仕方がないので、一番手前に平積みされていた週刊文春を買うと、なんと創刊50周年特別号、なかなか面白かったですね。50年振り返ってますからね。

斜め読みして、ひっかかりは3つ。

・赤坂の夜の街の構造が変わったのは、ホテルニュージャパンの火災がきっかけであるという記事。
 →なるほど。「盛り場の流行歌」エントリの疑問を解く鍵ですね。
・掲載コラム50年史を見て、新事実をたくさん知る。それと、ナンシー関の凄さを改めて実感する
阿川佐和子の対談連載のゲストが、たまたまタモリだった。
 →バカというソリューションエントリを深耕できる機会に出会う。しかも日曜日にETV特集
  赤塚不二夫論をやるという、たたみかけのご縁。

自分で文春を買ったのは、おそらく数年ぶりだと思いますけど、たまたま買ってみたのが記念号だったということですが、文春とか新潮とかって、硬派系の「オヤジ雑誌」ってイメージがあって、なかなか駅で買ったりするのは年齢的に勇気が要りますが(わたしだけでしょうか)、わたしは結構昔から馴染み深い雑誌なんです。

実家は、両親が活字中毒で、週刊文春と週間新潮は地元の本屋さんが毎週届けてくれていて、いつも「トイレ」に置いてありました。途中から、新しい号がきたら、古い号と取り替えるのはわたしの当番みたいな感じになっていたんですけどね。(笑)

なんで、中学生ぐらいからは少なくとも読んでいましたが、特にやっぱりナンシー関のテレビ批評(これは新潮にもあったのでダブルで読んでたですね)と、途中から始まった近田春夫の歌謡曲批評は、物凄く影響受けていると思いますね。視座というか立ち位置というか、世の中学ばないといけないことはたくさんあるのね、ということを教えてもらったというか、ですね。(実母が亡くなる前の、まだ意識があっての入院中に買っていった本は、追悼ナンシー関の本でした。そういえば)

わたし中学の同級生で、休み時間にAERAを読んでいた奴がいましたけどね。休み時間はいつも一人のガリベン君で運動はカラキシダメという典型的な人でしたが。

文春ではなく、AERAがトイレに置いてあったら、だいぶ違う人間になっていたでしょうね。(笑)
いや、人生そんなもんだと思いますけども。

その2つ以外にも、時事の「余計な情報」もたくさん手にいれたし、文化人や著名人の名前も、たくさん覚えましたよ。この雑誌で。真実も虚偽も合わせて、ですね。

それで、その50年の振り返り、を見てみると、70年代から文春のボーダレス化は始まっていたらしく、例えば今のオヤジ文化「ノムウツカウ」を体現しているのは夕刊紙(ゲンダイ、フジ)だと思いますけど、創刊当時からしばらくはそれに近い(といっても文藝春秋が出してるものですからレベルはあると思いますけど)内容だったのが70年代後半ぐらいから変わってきたんですって。

オヤジを中心には据えつつも女性も読めるよう、連載内容や執筆人のバランスをとり、割と多くの情報が入ってくるようになっていて、わたしが中学校っていうと80年代後半ですけども、ほぼ今の路線になっていますね。しかし系譜図とか年表とか見ていて、50年っていうのは壮観の眺めです。

テレビでも雑誌でも今年は「50周年」が多いみたいですけどね。とんだ50周年になっちまいましたね。お祭りする金も空気も無いという、人間だったら、寂しい50歳になっちまったという感じです。

いずれにせよ、少なからず接する時間の多かった週刊文春の50歳に、事故的に出会ったというご縁に、改めて感謝します。
週刊誌という雑多性、これ読んでて実利があるのかないのか、よくわからんけど、トイレや茶の間で読んでいて、その雑多な俗情報から自分で何かを抜き取りという「週刊の習慣」が、多くのものを残してくれたことは、間違いないですからね。

とはいえ、今後も買わないんでしょうけども(苦笑)。