スピリチュアルバイブス

この間、とある仕事関係の交流会の講演で、幽体離脱を研究する藤崎ちえ子氏の話がすごかった。気づいていないだけで、誰もが寝ている間に体を抜けて、あっちの世界に行ったり来たりするのだ、というところから話は始まるが、それを自覚的に行うこともでき、しかもそれは修行、といったものではなくて科学的にキチンとしたプロセスでできるようになる、という主旨の話である。(詳しくは、心の森研究所、にて)

前にもどこかで書いたことがあるのだけど、精神世界ってのはなかなか一般の人が怪訝する部分なんである。要はスピリチュアルなものと向き合うのは、孤独と向き合うというのと同義だからではないかと思うのだ。人は孤独を認めたくない。

その交流会も、企業のトップクラスや独立起業している方ばかりの会なのだが、経営者というのはものすごい孤独で、精神世界に行きやすい。全部自分で決断して責任を取らなければいけないのだから、当たり前である。頼りになるのは自分、というか自分の内なる世界だけというようになる。

僕は細野晴臣という音楽家が大好きなのだけれど、彼も一時期中沢新一と行動を共にしたり、精神世界にいって画家に転進したころの横尾忠則なんかとコチンムーンというアルバムを作ったりしていた。80年代中期からはアンビエントに行くしね。

僕が氏のどこがすきか、というと、要はバランス感覚なのである。そういうスピリチュアルなものに行きつつ、歌謡界でものすごいポップな曲を作って大ヒットさせたりするよね。
セッションミュージシャンとして職人的なベースを弾くと思えば(おそらく日本で一番センスと技術を持ちえたベーシストだと思う)、ものすごいクオリティの作品を作ったり、プロデュースを展開したりする。企業社会でいうゼネラリスト。ものすごい許容範囲。
僕は、そういういろいろなジャンル、境界を越えて縦横無尽に駆け回る氏のバイタリティの源、座標軸について質問させてもらったことがあるのだが、それは「愛」だと言ってる。

神と契約を結ぶ習慣のない日本人は、やっぱり挫折と失敗の中で自分が糧とするものを見つけていかないと生きるのがキツイ。この生きるのがキツイ、というのは生活に困る、という意味ではない。

なんだから一気に難しい話になってしまった。。浅草キッドから始まったのに。。
また明日。