「有名性の平和利用」が「有名性の悪魔利用」に反転した理由は何だったのか2 日刊ゲンダイ読後まで

(前回の続き)KCさんの日刊ゲンダイの手記詠みました。まあ枝葉で違うところはありましたが、あたしの憶測、なかなか芯食ってましたかね。70点。笑
乗りかかった船ですから、帰宅電車制限時間50分の文芸鍛錬その2です。

KCさん、正直に事実を捻じ曲げずに感情を抑えて書いていることが伺える、良い文章でした。

この文章の肝(国語のテストでいう「この文章で一番筆者が言いたいことはどこか」的な(笑))は

「【義理人情】という言葉はたしかに重い。それはいいだろう。だが、その形は、時代にあわせてしなやかに変わっていくべきではないか。紙風船のように。」

ですね。
あたしはここに山下達郎にあってKCさんにない、またはズレがある「不易流行」への意識を見ます。

この文章には、肝心の、なぜ(混乱の予測可能だった状態で)世話になっている人たちへの根回しや配慮なく、メディアでジャニーズ批判(提言、とKCさんは表現)をしたかは書かれていませんでした。
パッと言ってしまい、引けなくなり、それが現在の状況に繋がっているのか、または最初から用意していて狙ったのか、いずれにしてもKCさんの文章から分かるのは、この状況「でも」ジャニーズを取った山下達郎とジャニーズ、あるいはスマイルカンパニーの結束に対するKCさんの「嫉妬」が見えます。

物事がこじれる時には必ずそういう感情的な人間模様が隠れていることが多いのは人生経験上分かることですが、ジャニーズを庇ったり守ったりすれば集中砲火を浴びることは間違いない状況でも、山下達郎松尾潔を捨てて、ジャニーズを守った、そのことへのショックですね。

なるほど、だからああいう(ある意味子供っぽい稚拙さを含んだ)ツイートになったのかと膝を打ちました。

KCさんはだから、そこの部分は書けなかった。ラブレターを人に見られるのが恥ずかしいのと同じです。

次は達郎さんが日曜日のラジオで語るそうです。大瀧さんが亡くなった後、山下達郎は誰か関係者や影響を受けた人が亡くなるといつもはレクイエムプログラムを流すところ、それを行わなかったのですが、「はよやれ」「1年間ずっとやれ」「これまで庫出ししたことのないのよろしく」などといったナイアガラ酔狂たちからの怒りのハガキに対して「わたしと大瀧さんの関係は複雑であり、簡単に追悼を言葉にできることではないし、人にもその関係を説明できませんし、またそれを説明しようとも思いません。自分の家族の関係を他人に簡潔に説明するのが難しいように」と突き放します。今回の騒動も同じように対応するんじゃないかと思います。その時のコメントがYuotubeにあるので、リンクしときますが、名口上ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=3SgoQKSlw4M

この一連の騒動で、あたしが細野晴臣を追求し出してから30年、人生の師として、深いところで、ジャパニーズポップス四天王と言われるうちの3人、細野晴臣大瀧詠一山下達郎の在り方を観察し、分解し、そして自分の生活に落とし込んできて、3人と同じように弱小インディーズを好き好んで経営するに至ったのかが、50手前にして自分でもよく分かりました。それが70点の憶測で改めて自己証明されました。

あたしはこの騒動から3つの話を思い出します。

ひとつは、昔、親が共産党員だったという60代(当時)の方から聞いた話ですが、運動の崇高性を盾にろくに働かず活動ばかり行い、家族は木賃アパートの狭いところで食うや食わずで肩身を寄せて生きている、ところが親父は夜な夜な党員仲間を連れてきて、酒盛りに麻雀で、部屋の隅で家族は息をひそめていた、という話。世界平和を願う前に隣人を愛せよ、の話。業界の悪しき慣習を壊すためなら、身近な人を犠牲にしても仕方ない、のか、考えます。

そして二つ目は「加害者家族」が「被害者家族」と同じか、またはそれ以上の生きづらさを抱える日本社会の話。「身内をかばうのか」と声高に叫ぶ人は、身内が犯罪者という人の苦しみをどう想像するか。そしてジャニーズとスマイルカンパニーがどのぐらの「身内」なのか、それは上述のように達郎さんは語らないでしょうけど、どんな批判を浴びようと理解されまいと、加害者家族に寄り添う義理人情の強度と覚悟。

最後に、鈴木邦男さんに教えてもらった「アウトロー五箇条」話です。以下五箇条。

(1)人間的スケールが大きいこと
(常識はずれの器の大きさだからこそ、法の枠内に納まりきれない)
(2)自ら課した「掟」を守る
(自分をヒーローにしない。日陰の存在という恥じらいを持つ。法は犯しても決して仲間を裏切らない) 
(3)無欲恬淡
(金遣いはきれいに。しかもけちけちしない。名誉や権力を求めない。既存秩序の破壊に徹する) 
(4)時流にこびないヘソ曲がり
(流行に乗ればその途端、反逆は商品に堕落する)
(5)反逆者たること
(反権力、反体制の意志こそが大切)

おそらく達郎さんの対応に失望している多くのファンの人は、普段の言動からこのアウトロー5カ条のような人間だと思っていたところ、特に3と5に今回反するじゃないか、と思っているのではないかと思わなくもありません。

でも前の投稿でも書いたように、50年の時間軸で考えてみれば分かることですが、達郎さんもジャニーズも、芸能興業界では圧倒的弱者だったんで、ジャニーズも達郎さんも80年代にようやく独立したポジションを「共に」獲得していったんですから、戦友、仲間なんですよね。お互い今となってはある意味権威になりましたけど、達郎さんの意識としては3や5のような権威に擦り寄ってる意識は皆無で、ただ単に2に徹しているだけなんじゃないでしょうか。
そしていまや、加害者家族批判側がマジョリティ、寄り添うのがマイノリティ、だから、変節してるのは達郎さんじゃなくて、失望した側なんです。まあでも音楽が好き、ってだけで生き方や在り方まで観察してない人には、当然の反応なのは分かりますけどね。

ということで、日曜日のラジオ、この流れで予測できるので、正直あまり聞きたくないですな。おそらく日曜日、余計なことを言わず(言い訳や被害者意識を出さず)、ひとりで背負い、ある意味引退も覚悟でこの騒動と対峙するんじゃないでしょうか。もしそうなった時、KCさんは何を思い、個人的な一瞬の感情の揺れと迂闊でぞんざいな対応で壊してしまったものにどう向き合うのでしょう。

中学生の時に聴いたレベッカの歌を思い出しますな。
「壊してしまうのは簡単に出来るから、大切に生きてと彼女は泣いた」
日曜日、きっと泣くなあ。