高橋幸宏さんを偲ぶ

つい一昨日、地元のソウルバーのマスターと、ジェフベックやプレスリーのムスメのレクイエムを語っていた流れで、教授とユキヒロさんの状態の悪さと、もしかしたら…という話をしていたばかりなんですが、いつものように5時に起きたら高橋幸宏さんの訃報でした。なんか年明けからふと予感があって、YMO聴き直したりしながら、2人の安否を気にしてたんですが。。人間の五感を超える何か、に思いを馳せずにはいられません。

 

あたしはYMO直撃世代ではないのですが、あたしの最初のアイドルは元妻の中原理恵さんでしたので、幼いあたしのかすかな嫉妬から始まり笑、習っていたエレクトーンでYMOメドレーもやりましたが、高校の頃スカパラの初代ドラムの青木さんの尊敬するドラマーとして、というのが最初のリアルタイム認知だったのかもしれません。青木さんとのツインドラム目撃した記憶があります、

 

あたしの高橋幸宏さんへの気持ちは数年前に呟いた添付のツイートが全てです。トリオの三番手認知がずっと抜けてなかったですし、70年代の演奏家優位時代、手数の多さや複雑さを競うフュージョンブームの中、サディスティックミカバンド時代の加藤和彦さんあたりからの影響も大きかったんだと思いますが、林立夫さんより更に無駄を削る東京ドラムスタイルが結果的には早すぎたニューウェーブとなりましたし、70年代東京ドラムスタイルはティンパン系の流れでいけば林立夫高橋幸宏青山純と受け継がれ、いまやポップスはすべてそっち寄りですね、とか書くと、つのだ★ひろさんに、また俺たちの流れを無視するのか、とへそ曲げられますけどね。笑

 

YMOは、細野さん構想で最初は佐藤博林立夫で、2人に断られ、故村上ポンタ秀一にドラムは誰がいいか相談して、ポンタさんが細野さんに幸宏さんを推薦したという逸話が残ってますけど、音楽的なこともさることながら、デザインアートワーク、ファッション面は幸宏さん無しには出来なかったコンセプトでしたし、代名詞のライディーンは幸宏さんの作曲ですし、YMOの歌、通称「フーマンチェー唱法」は、幸宏さんの発明でソリッドステイトサバイバー以降のYMOの可能性を拡げたでしょうし、あたしはYMOブレイク後、教授が神経症になって活動できなくなり、細野さんと2人で頑張ってた頃に、ウルトラヴォックスに影響されて作ったと言われる「CUE」がその唱法のピークだと思いますが、幸宏作品で一番好きなYMOの作品は「中国女」です。あのペコペコペコペコというチープでフラットでシンプルなリズムパターンとブレイクで入る3連符6連符を組み合わせたおかずのセンス、いつ聴いても素晴らしい。

中国女といえば、昨年ゴダールが亡くなったばかりですが、YMOのファーストアルバムのB面に収録された、こちらも通称「ゴダール3部作」と言われる「東風」「中国女」「マッドピエロ」それぞれ教授、幸宏さん、細野さんの作曲ですが、ゴダールYMOに繋がる因果の糸が死期にまで繋がっているとしたら、同じく療養中の教授の快方を願って止みませんし、細野さんや達郎さんの剛健ぶりに改めて敬意を表しつつ、おそらく本日、音楽に限らず全ての日本の昭和サブカルチャー野郎の源泉のひとつであるYMOの腕がもぎ取られたことによる、思ったより大きな衝撃があることを予測しつつ、レクイエムでございました。