クラフトワークの思ひ出

先日クラフトワークの創設者のひとり、フローリアンシュナイダーさんが亡くなった。あたしがクラフトワークを始めて聴いたのは高校生の時だったと思うけど、随分とお世話になった。特に91年(あたし高校2年生)に発売されたTHE MIXは死ぬほど聴いた。ルーツミュージックを作った偉大なイノヴェーターと言うと過去の人が多い世代だけど、クラフトワークはあたしにとっては生ける伝説という印象。

連れ合いが特にアウトバーンが大好きで、結婚式のケーキ入刀の曲がアウトバーンだったし、新婚旅行もドイツ行ってミュンヘンレコード屋地産地消とかいってクラフトワークのレコード買ったし、本物のアウトバーンを走りながらアウトバーンも聴いたし、2011年の来日公演を家族(当時はまだ4人)で見に行って微動だにしないステージパフォーマンスにまだ幼児だったムスメたちが恐れおののいたりと、思い出はつきない。

クラフトワークの逸話でいつも頭に残っているのは、「STUDIO VOICE」がまだミニコミ誌だった70年代の終わり頃、編集部に遊びにいくと、いつもクラフトワークがかかっていた、という誰かの回想小話。このエピソードがなぜ頭から離れないのかを考えてるのだけど、よく分かっていない。70年代後半の先鋭カルチャーの空気感とクラフトワークという組合せが、同時代の「竹の子族ライディーン」という組合せと眩い対比を生み出している小話に思ったからかもしれない。

対比といえば、その2011年の来日の時、クラフトワークの前がYMOだったんだけど、YMOはほぼ人力でやっていて、微動だにしないクラフトワークとの対照性が面白かったのを覚えている。当時のツイッターにこうつぶやいている。

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YMOクラフトワークを並べて体験して思うが、同じテクノポップでも、YMOは身体性、どこまで機械に近づくかという一方、クラフトワークはもし機械になったらというパロディなんだよね。クラフトワークみたいな非身体的なライブってある意味初めてで、徹底していて感動的だった。
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あたしもたくさん電子音楽系のステージを見てきたけど、いまだにクラフトワークの無機質性を超えるステージは浮かばない。シンセサイザーの前に直立不動で立ち続けるあの4人のステージのシルエットがもう観れないのかと思うと残念だ。ご冥福をお祈りします。