サントリーBAR「中野ブリック」を偲ぶ

前回25年を振り返りましたが、ちょうど同じぐらい通ったBARが、このコロナ禍の影響で60年以上の歴史に幕を下ろすという訃報が入りました。大変残念です。思い出を綴って追悼としたいと思います。

初めて行ったのは20代前半だからもう20年以上前ですけど、当時中野にはブロードウェイと、まだ希少だったBARガーキング、あとマイナーな映画をやる武蔵野館という映画館があったのでたまに行っていたのですが、誰かの紹介やお薦めとかではなく、エイヤ、と意を決して入っていったと思います。(笑)それぐらいの間口の重厚さ、歴史の重みがある佇まいでしたから。

BARテンダーは白いジャケットに黒いパンツ、黒の蝶ネクタイで、いつもグラスを拭いていて、物静かに注文を聞き、スッとお酒を差しだしてくる、まさに正統的なBARなのですが、中野らしさと言っていいのか、お客様はラフで、魚屋のおっさんが前掛けかけたままカウンターで水割り飲んでるような店でした。あたしは過剰に飾ったり見え張ったりするの嫌なタイプなので、それはもう居心地がよくて、よく通うようになりました。

仕事の接待の2次会でも、友人との飲みにも、デートにも、もちろん一人飲みにも、ほんとによく使わせていただきました。おつまみは「昭和の洋食」風で、カニクリームコロッケが美味しかった。揚げ焼売もあったんですが、揚げ焼売があるBARってのが、昭和からある歴史をよく物語っていたと思います。

閉店を告げる店のスタッフのツイートを見ると昭和38年からとなっているんですが、確かあたしが店の壁に飾ってある店のエンブレムを見た記憶では昭和28年からだったと思うんですよね。ほー、山下達郎と同じ歳じゃんと思った記憶があるので間違いないと思うんですけど、もう確かめようがありません。

中野ブリックと同じくよく通った神保町のミロンガはもっと古くて戦前からあるんですけど、あたしはミロンガと同じくブリックも半永久的に続いていくものだと思い込んでいたので、ショックは大きいです。ミロンガもこのコロナ禍で閉店するようなことがないといいですが。。

コロナ騒動が終わったら戦後の焼け野原と同じようになるのではという話もあります。ミロンガはそれを奇跡的に逃れていまに続いている奇跡、みたいなことを話してました。詳しく知らないけど、ミロンガも一旦閉店してから有志が復活させたんじゃないかと思います。建物が壊されてしまえばおしまいですが、そうでなければ誰かの手で復活させることはできる。

ブリックもミロンガも、スクラップ&ビルドが繰り返される忙しない日本の都市において、オアシスでありアジールなんでした。長い間、ありがとうございました。お疲れ様でした。