語りたガール

しかし連日、重苦しい、探求の話が続きますね。ていうか、まあそれしか書けることないですからね。

世の中こうあるべきだ!はおこがましい。
誰々を批判する!のもおこがましい。
声高に主張する!は美感でない。
誰々の悪口!も美感でない。

などなど、書く主題を消去法で削っていくと、それしか残らないんですよね。

だから、上記のようなことの節度のある人の大概は、文章表現なんか、おそらくしないでしょうね。頭で考えていれば、それでよい、と。

それで、自分の問題として自分に返すわけですが、私が文章表現をする根の現実を見てみれば、

1、バカだから、書いておかないと放置され忘れられる課題や問題が多い
2、自己顕示欲がそもそも強い(だからアナログでなくてネット上になる)
3、もしかしたら「FRAGMENT FLOORS」そのもの、あるいは
  その考え方の体系にもしかしらたオリジナリティが微量含まれていて
  誰かの役に立つことがあるかもしれない、という夢を見ている
4、なかなか直接会えない友人や世話になった人や、関係各位に「元気にやってますよ」と、一方的に伝えている
5、直接お会いする人々との(特に初めてお会いする方との)相互理解の手間が(少し)省ける

ぐらいですかね。

語りたがり、というのは生来の性格ですから諦めますけども、わざわざブログを書く理由として一番大きいのは4、でしょうね。

ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)って私やったことないんですけど、あれって面倒なことが多いらしいですね。足跡がついたり、浮遊してたら知り合いに呼び止められたり、してね。
商店街を通って駅に向かうと「あらXXちゃん、おめかししてどこ行くのお?」みたいなね。
あるいはフラッと入った店でしつこく接客され、あるいは個人情報を聞かれ、電話やDM攻撃を受ける、とかね。

そういう「過度に密度の濃い関係性」の閉塞感が嫌で田舎を捨てて出てきたのにね、と思うので、SNSではなくて、一般公開で4を最大の目的としつつ、「軒先にて」で書いたように、たまに「ちょっと目の前を通りかかって気になりまして」と、暖簾をかき分けて声をかけてくれる人を期待せずに待つ。

ということですが、自分でも書いてて重くなる時があるので、もっと泥臭い現実から離れた、軽くてスマートでクールな話題も出来るならしたいところですが、どうも何かが私を、泥臭い現実のほうに引き寄せています。年齢的なもんですかね。

ということで、BGMぐらい、スマートでクールなものにしたいですね。
いまそれでパッと思いついたのですが、この人昔から好きですが一度もライブラリに入れてませんでした。京都発世界行のミュージシャンといえばレイハラカミさんとこの方ですかね。

竹村延和さん。