三味一体

わたし10年ぐらい前に、昨日書いた武蔵野周辺の昭和30年代分譲の団地とか、元赤線の区域とか、なんとなく「落ち着く」感じがして、文献漁ったり、その場所に行ってみたりしてたんですよね。

その後すぐに、青山ブックセンターなんか行くと「廃墟写真集」なんかが、わんさか出版されたりしてね。ありゃなんだったんでしょうね。別に先取りしたとか、そんなことは思いませんけど、そういう面白い現象がありました。

最近新聞を見ていたら、廃墟写真家が著作権の問題で誰かを訴えた、なんていう話もありましたけど、まだ続いてますか?廃墟ブームは。

団地を廃墟と言っては失礼ですが、昔こういう言葉で、それらの風景を形容したことがあります。「渦めく廃墟」。つまり、そこでは、不特定多数の夢や希望や笑いがあり、または退廃や絶望や死が短期間に繰り返されていて、その場に行くと、そういうことがワッと身体に迫ってきて、面白いんですよね。

そういうの、「味がある」っていうんですよね。味っていうのは、複雑なほどよい。スイカに塩ふったり、しょっぱい味付けの料理に、隠し調味料で砂糖を入れたりするのと同じですね。

ところで話は変わりますが、ダラリさん、面白い話書いてますよ。(http://ameblo.jp/dararhythm/entry-10194936326.html

サービス、わたしは人に後味の良さを提供することと考えていますが、後味も「味」ですね。
料理の見栄え(色、形、ニオイ)。口に入れた瞬間のインパクトの味。そして後味。
人間の生業に言い換えれば、第一印象。独特の立ち居振る舞いとか教養とか。そしてサービス。

教養ってのは「自分がいかに何を知らないかを知っていること」であると説いたのは内田さんですが、こう書いてみると納得できる定義ですね。つまり教養がある人は、自分が知らないことを知っていて、人と共生しようとするから、つまり振る舞いがスマートになるわけですが。

話がそれました。

「三位一体」とは、よく言ったもんですけど(キリスト教理みたいですけどね)、口に入れる前も、かもしだす「味」だとして、三味一体ってことでいかがでしょうかね。

トーキョーレアグルーヴ、もうひとつだけライブラリにしておきたい曲があるので、載せときます。