筋肉と少女

これは人がどう評価するのか分かりませんけど(笑)、私の今を形成したファクターのひとつとして筋肉少女帯(以下「筋少」)というバンドの存在があります。

90年代後半に大槻ケンジを始めとするメンバー間のいざこざで事実上解散状態にあったわけですけど、最近再結成しまして、武道館に8000人集めるなど、おそらく再結成ブームの中で、成功している例じゃないかと思いますよ。

成功の要因はたくさんあるんでしょうけど、周辺情報を拾うと、当時のファンは勿論、特におたく文化系列の人たちが筋少を事後評価していて解散後に新たなファンを獲得している、というようなことが書いてあって、ほほおと思った記憶があります。

まあそういえば、大槻ケンジはおたくや引きこもりのハシリですもんねって言ったら失礼ですか。

筋少の凄さでよく言われるのは大槻ケンジの世界観と卓越した演奏力、といったことですけど、その卓越した演奏力って、もっと具体的に言って「硬と軟」の両方を楽器各パートの誰もが表現できる、といった意味の「卓越した演奏力」だったと思うんですよね。

ここでもよくパラドックスの生、と言ってますけど、大胆かつ繊細な表現が出来るので、大槻ケンジのどんな無茶な曲でも、バンドサウンドとして完成してしまう凄みが当時からありました。

で、これは後付の理屈ですけど、その根本軸というか思想が、「筋肉」と「少女」というタームを含むバンド名によく表れていたんじゃないかなと、今となっては思います。

私はドラム叩きますけど、特に筋少太田明というドラマーには影響を受けました。いすに座る姿勢から腕の振り上げ方から、研究しましたね。中学生のとき。

なんでそこまでほれ込んだかなと思うと、やっぱり彼の表現力、ゴリゴリのハードロックから繊細なジャジーなフレーズから、シンプルなポップスから、玄人受けする何気なくセンスのよいフィルインとか、何を叩いても太田明らしい、という完成度があったように思います。

太田明はコアメンバーの中で、再結成には唯一参加していなかったんですけど、先月の武道館に他の元メンバーやサポートミュージシャンと共にゲストで登場したそうで2曲叩いたそうです。昔喧嘩して仲間割れとかあったとしても、それとは別にみんな生活もあるしなあ(笑)という現実もあると思うんですけど、筋少というブランド(軸)で、過去関わったステークフォルダの生活がまた成り立つってのも、それはそれで素敵じゃないかなと、筋少の最近の動向をチラ見してて感じることです。

そんな感じも含めて、改めてリスペクトしてますけど、聴き直すか、といったらちょっと。(笑)
と思いつつ、2番目に好きだった曲の画像があったので、貼っておきます。(ちなみに一位は「またあえたらいいね」という曲です)

へヴィでグルーヴィ。相当な個性同士の、明確な役割分担で高次のコラボだと、当時思ったのでした。