反応する力と限界

最近のエントリに、責任(レスポンシビリティ)とはレスポンス(反応)のことだ、というお話を書いた記憶があるのですが、昨今の社会情勢の急激な乱高下も影響してか、人々に余裕がなく、責任能力、つまり「反応する力」が落ちていると感じることが多くなってきました。

反応の速さ、というのはビジネスでも生活でも、私にとっては当たり前のことだけど大切にしていることで、それだけで「存在価値」として人に認められたりすることもあるんですが、そうすると逆に「レスポンスの速度と精度」ということを実現できる人があまりいない、ということでもあるんでしょうかね。

「レスポンスの速さと精度」つまりレスポンスの良さを実現し続けるためには、マメに情報をチェックできる、入った情報を迅速に的確に処理できる、レスポンスの仕方(メールなら文章、電話や直接なら話の中身)に手間と愛情、敬意が感じられること、だと思っています。

マメに情報をチェックする、は誰でも出来ます。情報処理も慣れればできます。ですので重要で難度が高いのは、レスポンスの仕方、ですね。

なんで難度が高いか、というと、相手がそのレスポンスを受け取ったらどう感じるか、どこでひっかかるか、なにで悩むか、ということを事前に想像する力が必要だからですね。

考える順番を自分と相手を逆にするといいのでは、というのは前に書きましたけど、レスポンスの仕方を考えるときも、これは一緒だと思います。

例えば、好きな女の子がいて、連絡を取り合うとします。恋愛って(私は面倒なのでいやですけど)「駆け引き」する人が多いですね。すると、「あえて」すぐに反応を返さない、ということをする人がいます。暇だと思われたくない、とか、もったいぶらせて相手の気持ちを錯乱させる、とか、自分のことを先にして展開をあれこれ考えるわけですけど、はっきり言って、暇ですね。(笑。

仕事でもよくある光景で、こういうのに見聞すると「めんどくせー」と思うんですけど、私は、極力すぐ返します。反応することそのものが既に「責任」だと思ってるし、後にまわすと、他にいろんなことがあって、忘れる可能性が高いので(笑)、すぐ返します。すぐ返して、損したことは、あまりないですね。

人と駆け引きすると消耗して余計なエネルギー吸い取られる経験を若いときにたくさんするって、逆に言うと大事だなと思うんですけどね。

テニスのように反応がポンポンやりとりされると、考える暇がないので、状況は良くも悪くも先に進みます。どっちがいいか、は別ですけど、悩んで先に進めないより、先に進んで困って対応策考えるほうが私は生きやすいので、そうします。その「対応策を考える」ことが経験値のことで、確かに歳取ったら、この量と質が大切だなというのが、先人から学ぶところです。

手間という意味で、先日とある女の子と話していて、メールって返信する時件名に「RE」がつくんですけど、あれをやめて、件名は極力書き換える。書き換えるとわかんなくなるときは数字を入れたり、追記したり、する。このヒト手間が、実はどれだけやり取り(取引)を円滑にするか、というお話で意気投合しました。

何気ないことなんですけどね。でも「反応」という責任を意識してないと出来ない、というのも事実だと思います。

「反応する力」、こんな時代(自分のことで精一杯)だからこそ、意識したいところですね。

ここのエントリもちょっと滞ってきてて、別に時間がない、とかではなくて、スランプですね。(笑)スランプというか、恋愛でいう駆け引き(テクニック)に興味がないので、本質で正直にと思うと書くことがない。カウンターを見ると、読み手が増えてきているようなので、邪念が出てきて(笑)、より書けなくなってきてますね。

最近のニュース見てても、問題の本質はおそらくそんなになくて、でもテクニックに翻弄されてしまった社会がテクニックによって引き起こされた問題を雨あられのように「どうしましょう」と報道されるだけで、事実だけ掴んで、後はどうでもいいという感じです。

現実で充分表現しきれていて反応がそれでもたくさん返ってきている環境で、ここのブログは現実で表現するための素地を作るためのモノローグ、ということを前提で考えてきました。シンプルになりたい、と思って生きていて、もっとシンプルになりたいなと思いますけど、現実の反応を返すことで手一杯で、現実プラス、ここでの読み手を(無意識に)想定して責任持って書くほど今の私に余裕がないのねえ、と正直に書きますと、最近はそんなこと感じてました。