ジェネレーション ロスト

私の文章には、よく「〜世代」っていう言葉が出てきます。

今年ももう夏も終わっちゃいますけど、正月に朝日新聞を見てたら「ロストジェネレーション」(失われた世代)とかいって、私たち世代(25歳〜35歳)の特集が組まれてて、とても興味深く読みました。
この「ロスト」はバブル崩壊後の「失われた10年」と呼ばれる不況の時期に若者だったということでつけられたと記憶してますが、違いましたっけ。

世代論ってとても便利で、マクロな視点から時代の流れをとらえる時に有効だとは思います。限られた人生の時間で多岐に渡る近現代史をおおまかにとらえようと思ったら、どうしてもこういった乱暴なやり方も必要かなとは思います。

でも「〜世代」ってのは多分に恣意的ですから、それで全部がわかったようにしちゃうとまずいっていう側面と、恣意的で乱暴だから「〜世代」って言い方をするものは信用ならんと、それだけで切り捨てちゃうのもどうかなって側面とあると思います。

わたしは、昔から特に明治以降の時代時代の若者が作ってきた文化(大きな文化も小さな文化も)を知るのが好きで、「〜族」とか「〜世代」とか無駄に頭に入ってます。

それが実生活の何に役立ったかなというと、大して役に立ってませんけど(笑)まず人付き合いには役立ったですね。学生の時は、同世代が多いわけですけど、社会に出れば、お年寄りから自分より一回りも若い人まで利害関係を作らないといけない。

「族」とか「世代」とか、頭の中に箱の用意があるみたいなイメージですけど、人に興味が沸くんですね。この人はいくつで、若い頃どんなことしてて、どんなところに住んでたか、とかね。それを聞き出すだけで情報を入れる箱がピコッと出てきて、その箱には「この傾向の人はこういうものが好きで、こういう思想にかぶれていて」というような基本情報がピンと出てきて、話が膨らむ。だいたいね、その情報処理は大筋を外れないですね。で、当事者の話を聞けば、その箱の情報が修正追加されるので、よりおもろい、と好循環になっていきます。

でも、それが適用できるのは残念ながらわたしたち世代以前まで、なんですかね。今は箱が多様すぎてフォローしきれない。住む場所とか着てた服とか聴いてた音楽とか熱狂したアイドルとかよく読んでいた本とか、少なくとも文化的な面からは、全然カテゴリー分けが出来ないんですよね。で、それは生きながら自分がリアルに感じていたわけで、だから「FRAGMENT FLOOR」ってことになるわけですけどね。
(でも、様々な統計学的なこととか、政治的にとか、って面ではまだまだ世代カテゴリーは有効でしょうけど)
昨今は、個人の「コミュニケーション能力」とか「文化資本」が格差を生き抜く最大の武器だとか言われますけど、そりゃ長島とか大鵬とか力道山とかの話題をしてれば良かった時代に比べれば(笑)、リソースがないと何もできないのは当たり前です。バブルの頃までは、英単語覚えるように情報を暗記してれば何とかなったけど、今は暗記の行為さえも意味がない。

だから、「ロストジェネレーション」じゃなくて「ジェネレーションロスト☆ジェネレーション」(世代を失った世代)が正確なんじゃないかなと思うんですけどね。(☆に特に意味はありません。後ろを急につのだ☆ひろが通り過ぎました)

過去アイデンティティを担保してきた「集落」とか「地域」とか「家」とか「会社」とか「世代」とか「マスメディア」とか、そういうものがどんどん壊れていきますけど、そのリアリティを凝視して、何をどう自分で再構築していくか、その中でもどう建設的に生きていくか、大変なテーマですけど、誤魔化さずに明るく解決していく。

暗澹としているところに、人は集まってきませんですよ。