カラカラまわるインフォメイション

昨日仕事帰りの電車の中でふと考えたんですけど、よく考えたら最初にインターネットを始めたのは95年だから、もう13年もインターネットやってることになります。13年!ちょっとビックリ。(ビックリしたので、書いちゃいます)

当時は、今みたいな環境の整備がないから、インターネットにつなぐとか、どうやったら回線料を安く出来るか、とか、いろいろ個人で創意工夫しないと何も出来ない頃でした。情報を受ける、には線繋いでカネ払えばいいだけですけど、情報を発信するには自分で発信に値する情報を持つことにプラスして、自分でHTMLを学んで記述したりFTPを使いこなしたり、そこには「手間」と「コスト」と「情熱」がきちんと介在していました。

ここまで読んで、「あ、これって昔は良かったな話?」とピンときた皆さん。そうではないので、もう少々お付き合いを。(笑


その私がインターネットをはじめる更に10年前、日本がバブル経済に踊り始める頃に、粉川哲夫というアカデミシャンが、「既に」こんなことを言っていました。(これ、過去記事でも引用してますが再録します)

高度資本主義(高度情報社会)になると、資本主義を構成する「資本家と労働者」が「ハッカーとホームレス」という対置になります。資本家は「土地、金、地位、名誉、女」を持ち、労働者は何も持たないで、稼いだ賃金を回転させるだけの存在であるわけですが、情報社会ではハッカーが情報を自分で持ち(創りだし)社会の主導権を握り、ホームレスはそのハッカーが発する情報を回転させるだけの存在であるのです。と。


私は、この本を(なんて本か忘れましたけど)自分でインターネットを始めるか始めないかぐらいの時に読んだと思うんですけど、唸りました。すごいなこの人、と。ただでも、「情報を持つ」ってどういうことでしょう?「情報を回転する」とはどういうことなんでしょう?って具体的なイメージは掴みきれていなかったように思いますね。

その後インターネットをやってみると、粉川がなぜ「労働者」を「ホームレス」と置換したか、というのは割とすぐに分かったんですよ。ホーム=自己軸=人に発信するべきオリジナリティ、がない(レス)。ということかなと。どこかの掲示板やチャットに寄生して、人のアゲアシをとって、人の反応をとにかく待っている、という輩は、当時からたくさんいましたもんね。2チャンネル、とかはだいぶ後になって出てきましたけど。

さて話は飛びますが、時代というのは面白くて、インターネットと同時進行で発展していった似たような文化に「女子高生(ジョシコウセイ)」文化がありましたよね。人力ネットワークを駆使したクチコミがヒット商品を産む、とかいって当時はとてもセンセーショナルに語られていました。確かにその前の「カタログ文化」も「ストリート文化」もクチコミほど「わけのわからなさ」は無かったですね。いろんなものがヒットしました。

クチコミは、誰が出し元で誰が受け手かは分からない構造になっていて、誰が女子高生文化の中心にいるのか、その存在は都市伝説みたいになっていた。まあ、大概は企業が渋谷を歩いているジョシコウセイを捕まえて、というパターン化があるわけですけどね。
インターネットも同じ構造ですよね。まあ、本来どうでもいいし、突き止めても意味がない。誰が主体なのか?については。その構造は同じでした。

そんな13年前のジョシコウセイは、今20後半〜30ぐらいの人ですけど、「ハッカー世代」として、つまり情報の主導権を握っていた世代として、今も注目されていますよね。雑誌の特集かなんかで見ましたけどね。(その世代象徴が浜崎あゆみだったわけですけどね)

そのぐらいの年齢の女の子と接してて思うのは、やっぱりなんとなく自信を持っているんですよね。自分たちの手触りで情報を選んできた、という自負があるというか。それは、なんでなんだろうなと考えてみました。
わたしの周辺の同世代の男の子は自信もってるほうだと思いますけど、同世代の女の子に、これだけの自信はないよねっては思います。あくまで感覚ですけど。逆に女子高生文化に隠れた同世代の男の子たちっていうのも「自信」ないのかなあ、と。(年下の男の子とあまり付き合わないので、よく分かりませんが)

この感じってなんでなんだろうなあ??と、これは積み残し作業として、後で時間かけて考えてみます。

「話上手は聞き上手」っていう言葉がありますけど、情報だって「発信上手は、受け上手」が基本としてあると思います。

わたしなんかの世代あたりから、情報の編集能力ということがとても重要だと言われてきたんですけど、「編集」っていうのは、まさにそういう作業ですからね。原本を受けて、ゴニャゴニャっと加工して、出力する。その「ごにゃごにゃ」に、編集者としてのオリジナリティがあって価値があるわけです。

コミュニケーションだって、同じ構図ですよね。「ごにゃごにゃ」の部分は、人間力です。(笑)
そこには、優しさとか誠意とか、経験とか勘とか、そういう言語化の難しい、訓練では難しい部分がある。(格差のポイントはここですけど)

つまり、思うのだけど、粉川が提唱した「ハッカーVSホームレス」という時代構造は、実は「VS」という「対立構造」そのものが成立してなくて、それは「資本家VS労働者」とか「権力VS非権力」とか「右VS左」とか、なんでもいいですけど、そういう「分かりやすい」過去の2項対立構造を壊す概念なんだと思うんです。
ハッカー」と「ホームレス」というカテゴリーが並列している、というのが正しい言い方なんだと思います。
もっと言うと、粉川哲夫は、なんで「情報を持つ人」をハッカーという言葉で形容したのだろう?というのが書いていて分かってきて、ハッカーって「実体がよく分からない」んですよ。「なんだかよくわからない人」が社会を作っていて、「なんだかよくわからない」が創る社会は不安だから、とりあえず目の前にあるものに飛びついてカラカラと回転させる人(ホームレス)が出てくる。

人類の歴史を考えてみても、「そこにいる人」にとって元々世界は狭かったわけで、それが、たかだか200年の技術革新で誰もが遠くまで深くまで認識できるようにはなった。なったはなったけど、じゃあそれって誰もが謳歌できることなの?といえば、NOですよね。社会構造は変わっても、人間個々の本質は、そう簡単に変われません。
だから、なんだかよくわかる時代は対立することで悪意を補完したけど、今は悪意は社会に浮遊してしまいます。

無理やり押し出されてしまった荒野では、「なんだかよく分からない」を不安と恐怖に怯えず面白がれるタフさと、「ごにゃごにゃ=なんだかよく分からない」能力だけが大切になんですかね。

というか、世界は狭かった大昔から、「なんだかよくわからない」を「なんだかよくわかる」ように努力していくのが「知的に前向きに生きる」の基本ではあったんでしょうから(その先人の苦闘は書物を紐解けばいくらでも出でくるわけですが)、なんだからよくわからないものが周りに増えちゃって困っちゃってさあ、が正しい現状認識でしょうかねえ。