エクスペリメンタルポップ

frafloちゃんの好きなものは何ですかという質問には一言こう答えるようにしています。

音楽には、エクスペリメンタルポップというジャンルがあるみたいですけど、どこが実験的でどこがポップかというのは主観でしかないので、ジャンルの分類としては、とても曖昧なような気がしますけども。

検索サイトでエクスペリメンタルポップと入れると、ジムオルークさんがトップに出てきました。ああ、まさにエクスペリメンタルポップ好きでもあるし、作り手でもあるなと思います。

先週話題にしていた若松孝二さんの連合赤軍の映画の音楽は、ジムオルークさんでしたね。若松さんが自分でジムオルークを知っていて、是非この人に頼みたい、と言ったとは考えにくいので、コーディネーター、マッチメーカーがいたんでしょうね。もしいたとすれば、素敵ですね。その人。

お台場にあるプラネタリウムに、気鋭の若手のプラネタリウムの仕組み作る人がプラネタリウムを公開する時、その空間の音楽をレイハラカミさんがやる、みたいなことがあったんですけど、それもどうもわたしはマッチメーカーがいると思って、そういう人の存在を想像して、ニヤニヤしていました。

プラネタリウムにレイハラカミ、エクスペリメンタルポップです。

エクスペリメンタルポップというのは、全てのわたしの嗜好に通じるものです。音楽も、マテリアルも(家具、食器、服、家電、などなど)まわりに集まる人間の素養も、なんとなくみんなそんなもので溢れています。

料理も、エクスペリメンタルポップでないと楽しくありません。アリモノで何が作れるか、本ではなくて感覚で味付けをしていく。今まで作ったことのないものにイメージでチャレンジしていく。そこの部分が実験性ですけども、それを食べる人においしいと言ってもらえるかどうか、つまりそれが「ポップ」です。

文章(考えること)も、生き方(あり方)そのものもエクスペリメンタルポップ、を目指したいのですけどね。
その実験性と大衆性が、「どこにもないもの」であれば、それは結果として商売になったり、自分の生活を成り立たせるものになるのかもしれません。自分が知らないだけで、そんなのもう何の実験性もないし、独りよがりで何のポップさもないよ、ということであれば、それはそれでしかない。

でもそういうことは、あんまり関係がなくて、物事に望む態度として、エクスペリメンタルであれ、ポップであれ、という意識を持ち続けることが、大切だと思っています。それを続けることで、もしかしたら唯一無二のものになるかもしれない(し、ならないかもしれない)

ま、それはあくまで結果であって、「結果に囚われない」というのは、こういう時使うんでしょうね。

ということで、一年弱のフラフロ厨房も、ひとまず少しお休みをします。ここのところ日々時間を作って考えてきて、この時点で明らかになっている自分の身体の水脈について、別の視点から考察検証反省をして、取捨選択をして、自分のあり方を再度体系立ててみて、エクスペリメンタルポップに現実をグッと新たな局面に切り開くタイミングのよう思いまして、なんとなく「選択と集中」をすることにしました。

意識する日常が、いつからか惰性になって、ブログ更新が自己目的化してしまうのはイヤだなとずっと思っていて、それでも続けることの何かしらメリットもあるかもしれませんが、ここは勇気を持って撤退します。

という、諸々のタイミングのご縁ですけども、そういう感覚的なことには素直に従うタイプです。

ということで、「匿名の」ブログ生活からのお別れです。七面倒なお話に長らくお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。

少数派(孤立)を恐れず、前向き(ニコニコ)に機嫌よく暮らす覚悟をしている、愛すべき皆さんの末永いチャレンジに敬意を表しつつ。

またお会いしましょう。