素朴な話

最近ニュースを見ても周りのビジネス環境を見ていても思うのですけど、事実を見ずに、いかに物事を判断しているかということを思いますね。

新型インフルもそうだし、景気動向もそうだし、なんだかここ2,3年、より人々の情報への態度が危うくなっている気がします。

そんな中、面白い本があります。「出版状況クロニクル」という、出版業界の構造不況の状態を3年に渡ってレポートし、その悪化する業界を見つめることで、どうやって対応策を導いていくか(出版業界を死滅させないか)、ということを考えている本です。

今でもネット上で、現在進行形で進んでいるそうです。

わたし出版業界は無関係ではないので、単純に勉強材料としても真剣に読んだのですが、やっぱり概念マニアとしては(笑)、その内容もさることながら、その本で一貫している、事実と、事実に向き合う態度、そこから思考するプロセスこそ、各業界で起きている構造不況を脱する姿勢として、参考になるんじゃないかなあなんて思いますね。

元々この本を知ったのは、このサイトの内部キーワード分析の中にたまたまあったんで知ったのですけども(これでわたしの情報が広がっているということは確実にあります。ブログやっているひとつのメリットでもあります。)背筋が伸びる、いい本でした。

わたしは、出版業界に限らないと思うんですけど、構造不況に陥る業界の特徴は、なんといっても事実を素直に見ない、なんて松下コウノスケみたいなこと言いますけど(笑)、そう思います。

事実っていうのは、どの業界も一緒ですけど、ひとつは数字だし、ひとつは「エンドユーザーの声」「自分のいる枠外の周囲の声」ですかね。やっぱり徹底的にエンドの声を拾い上げているところは、構造不況には陥らないように、思います。

知恵の総量が違うからですね。

こういうのは、全てのことに(例えば家族も恋愛も)いえるのですけど、そのある枠の中だけで情報が輪廻して、枠外からの情報が入ってこなくなると、構造不況に陥るという、単純に言うと、ただそれだけのことなんですよね。

だけど、外の情報ってのは、時に辛らつだし、時に傷つくし、時に目を背けたくなる。素直に対峙できないときには、勿論腹も立つし、ムキになったりもする。だけど、そうやって対峙できる人だけが、自分(たち)の枠を突破して、ニコニコ暮らす構造を改めて持つことができる、というのは、真意だと思うんですよね。

枠が大きければ大きいだけ、それは難しくなるんですよね。だから、今みたいな状況になった時に、小手先の処方箋になってしまう。「そんなことを言われたって、こっちにも事情があってさ」になってしまう。

つまりこれは自戒でもあるんですけど、「こっちにも事情があってさ」と言った段階(相手の声をシャットダウンしてしまった段階)で、終わっちゃう。思考停止になってしまう。

その本は徹底的に思考停止を拒みます。だから読んでいて面白いんでしょうね。

出版で言えば、多くの出版社も、取次も、書店も、エンドユーザーが何を欲しているか、を結果的に蔑ろにした。つまり情報インフラ業として驕りもあったろうし、業界内部の力関係に目を向けるあまりに外部をおそろかにしてしまった面もあるだろうし、という。

だから、そこから学ばないといけないのは、なんの業態にしても、徹底的にエンドの声に耳を傾け、厳しい現実と付き合って、自分たちの思考を止めないということでしか、生きる道はないという、素朴ですけどね。

だからきっと、その原理をやろうとするなら、業界にも企業にも「適正規模」というのがあるんだと思うし、エンドの声を無視しないと規模が維持できないようなものの無理や欺瞞というのは、これから無くなっていくのでは、というのが、ここでも繰り返し、書かれることです。

それは大昔から、きっと教訓として歴史書や物語として書いてあるんですけどね。でも「分かっちゃいるけど止められない」というのは名言で(笑)、一人の力では抗するよりはそっちのメンタリティで流れちゃえということが多勢を占めていたのは当時は仕方がない。

その意味だと、今は「分かってないのに、止めさせられちゃう」という(笑)、よく言う「あえて(故意)」がいつのまにか「真意」に切り替わっちゃてたという、感じです。

エンドの声(周囲の声)に徹底的に耳を傾けろという素朴さと、単純進歩史観(拡大路線)の素朴さ、同じ素朴さであれば、わたしは前者を採りたいと思うのですけどね。

なので日々(仕事も仕事以外も関係なく)、まわりの声に真摯に向き合うと同時に、「どうしたらいいと思う?」と素直に聞いていただける人間でありたいと思って生活していますが、毎日チェック(意識)しないと、やっぱり人間弱いので、徹底できないですね。

そんなことで、素朴で原始的なこととはいえ、備忘録として、書いておきます。