スキ話

スキがない、というのはビジネスをする上ではとても大切な能力です。あ、なんでも一緒ですか。スキがなさ過ぎるのもいけませんけど、基本的にはスキを作らないようにするということが、特にこの世知辛い世の中をニコニコ渡っていくには、必要だとわたしは思っています。

だけど、スキを作らないように留意する、を意識しすぎると「スキがなさ過ぎる」になったり、行動する範囲を狭めることになって、活動を窮屈にします。だから、スキを作らないというのは、意識化習慣化することが大事かなと思います。

最近の20代の若いオトコノコにスキが多いと思っているのは、きっとわたしだけではないと思うのですが、本来スキがないようにする、という訓練は、わたしら世代は受けていません。

昔、対立軸が鮮明にあって、闘争をした人たちは、「スキを見せない」ことと「スキを突く」ことに、充分な訓練をしてきたはずです。

でもわたしらは、ベルリンの壁は崩れ、共産圏が崩壊し、男女雇用機会均等法以降に育ってますから、そもそも対立軸の中で生きていなくて、スキを見せる、またはスキを突く仮想敵がいない、という中で生きてきた、ということはありますよね。

だから、わたしが今言う「スキ」がどうのというのは、敵に対して、ということではないのですけどね。

なんでスキが多いといけないかというと、相手にされないからですね。(笑)相手にされないって、つまり自分の言ったりやったりしていることが、間に受けてもらえない。つまり、自分が一生懸命訴えていることが相手に伝わらない。

それは「徒労」というやつになってしまう可能性が高いのです。徒労となれば、ニコニコできません。前向きに生きる力が殺がれます。

人間やっぱり、間に受けてもらいたいんです。一生懸命やったら、ちゃんと認めてもらいたい。だけどスキが多いと、その一生懸命やった事象の「評価」を無駄に下げるんです。それは単純に損だと思うんです。

例えば、ここに毎日文章書くんですけど、読んでいただいている方々は、どう読んでいるのか分かりません。時間がたんまりあるわけではないので、調査不足とか憶測でモノ言っていて突っ込みどころ満載のところも多分にあるでしょうし、批判があればそれは素直に受け止めます。

ただわたしとしては、あんまり支離滅裂で、説得力を持たないものにならないようには自分なりに留意しているつもりです。これも訓練ですね。理路に整合性があるのか、ちゃんとオチてんのか。オチてないとしても、時間を割いていただいて読むに耐えうる内容になっているのか。

そんなに堅く考えているわけではないですけど、必要最低限の課題は、いつも頭の中にあります。それを繰り返すことで、スキというものについて訓練されますからね。

別に完璧である必要はないんです。スキがないってのは、自分が本腰入れてやっていることそのものの評価は、そのものを評価していただきたい、その為に余計なところでの減点を避ける。

採点性のスポーツ競技なんかに例えると良く分かりますけどね。大技で勝負するためには、その大技までに積み上げる基本動作で減点されていたら、大技が決まったって、その評価は半減してしまう。

わたしの言っているのは、その基本動作にスキがない、その後の技のために。その技を間に受けてもらうために必要なんです。

てなことを、ある人に頼まれてある会社の新人研修でお話したら、キョトンとしてました。オトコノコたち。(苦笑)

思い返せば、スキを作らない、を醸造したのは、仲間の存在が大きかったかなと思います。仲間といえど、スキを見せればヤラれるという(笑)緊張感で生きてきたことは、財産ですねえ。

その緊張感は今でも続いている、とも言えますが、そんなのみんなそうなんじゃないのか、と言えば、そうでもないみたいですね。

真剣に場に望む。ウソは見抜かれる。存在感を示さないと相手にされなくなる。ビジネスの世界では当たり前のことをガキの頃から訓練していたという。対立軸が消えうせた後の世界で、そういう仲間と巡り合えて切磋琢磨してこれたことには、改めて感謝しないといけないですね。