ミニマムインカム

ここにもたまに出てきますけども、「希望格差社会」や「パラサイトシングル」や「婚活」など、数々のキャッチコピーを生み出している山田昌弘さんが今注目研究しているテーマだそうです。

ミニマムインカムとは、これもここによく出てくるフレーズですが「(その人が)健康で文化的な必要最低限の生活を送るための」収入のことです。つまり10人10通りあるのです。

最近は、民衆の(というか企業の)要請により、緊急保障制度というのがいろんなところで施策されています。各メディアから情報を受け取っていると、街角景気は底を打ったとか、倒産の話題が少し減ったとか、ちょっとした「落ち着き」は見せたかのように感じられます。

ですけど、これは「延命」ですので、長続きしません。(後から来る負担(税金)を考えると絶望的になりますけども。。(苦笑))今このうちに何か抜本的な手を打つことが必要で、その「抜本的な手」は国がうつのではなくて、個人が、1企業が、自分で考えて、最終的には打つんだと思うんです。

隣の席の子に聞くのじゃなくて。つまりここで、生きる力が、必要なんだと思いますよね。

その抜本的な手をうつことのひとつが、自分の「ミニマムインカム」を考える、ということだと毎日ここにいろんなことを書きながら実は思っていて、そういう意味で、わたしにはタイムリーな言葉でした。

中小企業への緊急保障制度を利用した企業は全国で45万社だそうですが、そのうちそのお金が底をつく前に何が出来るのか、一刻の猶予もないんですね。だからそのままだと、次の止血政策がなければ、夏前ぐらいから、またバタバタと不穏なニュースが流れ始めるはずですけどね。

ミニマムインカムというのは、収入が減るから生活も質素にしなきゃ、企業活動がおぼつかないから社員犠牲にしちゃえ、というような否定的な言葉ではなくて、わたしは前向きに考えます。ここでよくお話するように元来常識や慣例には懐疑的なほうかもしれませんけど、それでも世の中の流れに巻き込まれて必要と思わされている支出が必ずわたしの生活の中にもあるはずなんですよね。

残っている見栄や虚飾をそぎ落とす、いい機会なんだと思ってます。

ミニマムインカムが分かれば、それを最低ラインとして、もし余剰分があれば、それを「何に使うか」自分(とその家族)で決めればよいと思うんです。余剰があって、今の状態がいいよと思う人は、最低ラインまでは放っておいて、時間の使い方を他に考えて「健康で文化的」を守るためにどうするか考えればよいし、働いて何かを実現したいと思う人は、ミニマムインカムラインからの余剰分(の金と時間)を、とことん何かの実現に使って、自分の「健康で文化的」な生活をより実現していけばよい。

もしミニマムインカムに自分の収入が現状達していなかったら、でもそれは己個人の限界なので、じゃあどうやって周りと協調して、収入をミニマムラインまで押し上げるのか、考えればいいんだと思うんです。その周りを巻き込む時の重要な根拠に、自分のミニマムインカムの分析が有効になるはずです。ミニマムラインを押し上げるために手伝ってくれる人、助けてくれる人が現れなければ、それはまだまだ、その人の分析(認識)が甘い、ということの結果だと思うんです。

個人が孤立するのは、孤立しても生きていける財力があるからだと思いますが、その財力に陰りが出てきた。3人寄らば文殊智慧、ミニマムインカムと同じで、孤立を避ける、は、こんなご時世を生き抜くひとつの方法なんだと改めて思いますね。

いずれにせよ、今変だなと思うのは、自分の生活や企業活動の(自分の視点での)自省はせずに、ただ今の生活水準が守られないからといってワーワー言っている、という感じです。そのおっしゃっている水準は、「守られるべきものか」といった自省があるのかな?とちょっと疑問符がつきます。

ニコニコ生きるためには、手間を惜しまず必要最低限アカデミックに考えろというミニマムインカム。分析して、方針を立てて、実践にうつす。経営者みたいなことを個人がやらないといけないという、ある意味辛い、ある意味楽しい、ご時世ですね。

それはやっぱり全員には無理よお、ということになれば、今のまんま負担を将来に押し付けて血が出たら止めるを繰り返すのか、または民主主義は終わりを告げて次の全く新しい時代へとシフトしていくのか、または過去を繰り返すのか、分かりませんけどね。いずれにせよねじれたままではいつか崩壊しちゃうんでしょうかね。

わたしは(良くも悪くも)民主主義者ですから諦めたくないので、山田さんもおっしゃるように、局地戦、していきたいと思いますけども。

昨日のエロ話から一転、おまじめフラグメントフロアでした