ノンスタンダード

先日の酒場の話で、相手に呼吸を合わせ、鏡のように同じ動作をすることの意義について書きましたが、相手の動きに注意していると、「あれ?」ということがあります。

相手に集中している、もしくは相手に注目されている、という空間を作り出す人は、間違い探し能力にも長けています。わたしは「左利き」っていう間違いを持っていて、そういう素養の人と対峙すると、10分もすれば「あれ?左利きですか?」と聞かれます。

聞かれると、あ、この人、場に集中しているな、と思うので、オミズマインドとして相手との間合いを計るひとつの武器です。左利きは。(笑)

左利き学会によると、左利きは小さなストレスを蓄積しがちで、右利きより早死にするそうです。例えばワンルームの台所は右利きの利用者を想定して作られているし、ゴルフコースだって右利きの人用に設計されている。駅の改札も右利き。

わたし結構ストレスフルだと思うので、あまり言われないのはビュッフェスタイル。立食パーティは苦手なんですが、その一因は左利きは料理が取りずらいということがあります。仕方ないですけど。

ドラムも最初は左で叩いてたのですが、セッティングをいちいち直すのがしんどいので右に矯正しました。そういえば最近左利きのドラマーやギタリストなんかを見ませんね。なぜなんでしょう。

Personzフィッシュマンズのドラマーは、手を交差しないで叩くスタイルなんですけど、あの人たちはきっと左利きなんでしょうね。

ま、そういうことの「違和感」をちょっとづつ感じて生きていくから、早死に説はよく分かります。

うちの子供は、例えば箸を持つのは、平日は右で休日は左です。何故かというと、平日は右利きの母親と食卓を囲むので右、休日はわたしも食卓に混ぜてもらうので、左なんです。要は目の前でごはん食べている人の真似するわけです。

ちょっと前に「右脳教育ブーム」というのが確かあって、子供を左利きにしなさい、みたいな風潮がありましたよね。わたし、親に出来もしないことを小さい子供に強要することほど子供に辛いことないと思うんですけど、想像を絶する苦痛を、左矯正された子供は味わったはずです。

「なんか普段と違うぞ」という気配を察知する能力は、生存するために必要ですが、「普段と違うぞ」は普段があるから、成り立つわけで、子供はきっと親や周囲の大人を観察して、普段を積み重ねていきますよね。

利き腕というのは、その「普段」のことですけど、親や周囲のオトナの真似をすることを禁止されたら、普段がなくなって、違いの気配に気づく能力は育たないし、真似することを否定されたら、オリジナリティは育たない。

もし子供を左利きに育てたいんだったら、自分が左利きになるしかないじゃんね、とわたしはラジカルに考えるんですけど、どうなんでしょうね。

うちの子供は左に右に忙しいのですが、意図せぬこととはいえ、面白いなあと思って見てます。ノンスタンダード。箸だけじゃなくて、アッチのほうも、右も左も関係なく、本質を自分なりに見極めて欲しいとは思いますけどね。

ところで何でアッチのほうは右と左という言い方になったんでしょうね。

右翼とは→フランス革命後の議会で、議長席から見て右側の席を保守派が占めた事から由来する。

「右を軸にする社会」に話を持っていきずらい由来ですね。(笑)こじつけ出来なくて残念。